ルーズベルト大統領の死去

ルーズベルトとスティムソン、二人の老政治家が会ったのは三月一五日でした。これが最後になるとは、もちろん、二人とも思っていなかったでしょう。スティムソンはブッシュ、コナントから説明を受けたように、将来の見通しと原子爆弾が引き起こす問題について大統領に説明しました。

この説明の中でスティムソンは、戦後の原子力国際管理に関する考え方には、二つの流れがあることを指摘しました。

一つは、①マンハッタン計画の秘密を守り続けることにより英米の原子力独占を維持しようとする考え方であり、他の一つは、②科学研究および査察の自由が保障されるようなシステムを基礎とした国際管理体制を作り上げようとする考え方でした。

いずれの考え方に従うかは、ただちに決定されなければならず、原子爆弾が使用される前に決着をつけておかねばならない問題であると言いました。ルーズベルトは、スティムソンの述べたことに対して、反対は何一つ示しませんでした。

そして、スティムソンは、「大統領との会談はだいたいにおいて成功だった」と判断しました。しかし、いつものように、この切迫した重大問題に対しても、大統領は決然たる行動に移ることはありませんでした(ルーズベルトは原爆の扱いについて、ボーアやブッシュ、ザックス、スティムソンなどからいろいろ聞いて、そのつど同調的な発言はしましたが、本心は依然として不明のままでした)。

一九四五年四月一二日昼食前にルーズベルトは急死しました。死因は高血圧性脳出血であり、死亡日の血圧は三〇〇/一九〇mmHgでした。一年前から最高血圧は二〇〇mmHg以上でした。当時は高血圧の薬は実験的な報告が出たばかりで、有効な治療法はありませんでした。