追いつ追われつ、三つ巴《三十三歳〜三十五歳》

広告代理店時代、メインクライアントとして担当していたスーパー・ドジャース社員に共通する「仕事を与えてやっている」的な社風に、恭平は馴染むことができなかった。会社の規模や業種、主従の如何を問わず、基本的にビジネスは「Give and Take」の対等であるべきだと恭平は考えていた。

スーパー・ドジャースの広島における二店舗の従業員食堂を万鶴が委託されており、恭平が窓口担当になった。奇遇とも言える巡り合わせを機に、何とか過去のイメージを払拭したいと願った恭平は、二店舗の従業員食堂の献立やサービスには特に気を配っていた。

開局十周年を記念してテレビ広島主催で「広島オープンゴルフ」が開催されて以来、ギャラリー用の弁当販売をひろしま食品が請け負っていたが、恭平が万鶴の専務になってからは、イベント関連事業は対応力のある万鶴が担当するように変更した。来場者の入り具合で販売数が変動するイベントでの弁当販売は、当たれば儲けも大きいがロスも多く、ビジネスとしては案外なリスクもあった。

こうしたロスを防ごうと考案した苦肉の策が、二段階メニューだ。当初は持参した弁当だけを売り、完売の見込みが立った時点から肉うどんの実演販売をスタートさせる。弁当は翌日に持ち越せないが、うどんや肉は冷蔵車に保管しておけば翌日も販売可能で、ロスを最小限に抑えることができると言う案配だ。

かつての大会最終日、見込みを大幅に超える観客が来場して弁当が売切れ、関係者以外レストランに立ち入り禁止だったことで腹を空かせたギャラリーから罵声を浴びせられ、主催者からは執拗に𠮟られた経験から生まれた苦肉のアイデアだった。