【前回の記事を読む】「馬鹿なことを言うな」兄は社員を慮るも、利己に走る弟は…

人生いろいろ幕の内弁当《三十二歳〜三十五歳》

「本気で𠮟り、真剣に聞いていただけるクレーム対応時こそ、最高の営業チャンスだ」

口癖のように言い続けていた恭平だったから、対応が難しいクレームの度に声が掛かる。相手の素性を確かめることなく電話一本で商品を届ける生業が故に、一筋縄ではいかない思いがけぬ輩を相手に、恭平は一触即発の危険なクレーム対応も数多く経験した。

今も思い出す度に慚愧の念に堪えず、忸怩たる思いに駆られるクレーム相手は、反社会的勢力ではなく、花見シーズンの日曜日の善良な一般市民からの電話だった。

「責任者を出せ!」

激昂の電話に慌てて白衣からスーツに着替え、ネクタイを締めた恭平は、届け先の郊外の真新しい一軒家に駆けつけ、玄関を開けた途端、絶句した。恭平の目に飛び込んできたのは、祭壇に供えられた就学前と思われる女児の遺影だった。

「我が娘が、車に轢き殺されただけでも悔しいのに、それをお前らは祝うのか!」

泣きながら、殴りかからんばかりに肩を摑み揺さぶる、同年代の若い父親の憤りに返す言葉も無く、恭平は殴って気が済むなら殴って欲しいと願いながら立ち竦んでいた。葬儀用に受けた折詰に法事用の掛け紙や黄白の掛け紐ではなく、間違えて通常の掛け紙と紅白の掛け紐を掛けて届けしてしまったのは、完全に会社側の手違いであり、謝っても許される失態ではなかった。

大晦日、数千食の製造が恒例となっている「おせち料理」は、製造遅れも恒例だった。万鶴の専務に就任した初年度、恭平がおせち料理の配達を終えたのは、除夜の鐘の鳴り響く深夜。玄関の明かりが点いているのを幸いに呼び鈴を押し、会社名を名乗ると、

「何時だと思っているんだ! もう要らんから、持って帰れ!」

大声で怒鳴られ、恭平は姿の見えないお客様に平身低頭し、

「代金はいただきません。良い年をお迎えください」

深々と頭を下げて詫びながら、雪が降り始めた玄関先におせち料理を置いて帰った。

新しい年の門出を祝うべき「おせち料理」を時間通りに製造し、時間通りに届けることのできない悔しさを二度と味わいたくないと一念発起。翌年のおせち料理は、営業、献立、仕入、製造、配送の全てを恭平が企画し、責任を負った。

営業は、直販に加え地元の大手スーパー「スプリング」とも契約し、トータルでの受注量は前年の倍近くに達し、売上総額は一億円目前まで伸びた。献立や仕入は、過去の実績に捉われず、他社のメニューやおせち食材専門業者の展示会を見て回り決定。

チラシの撮影に立ち会い、デザインにも口を出した。パソコンなど無い時代だったから、方眼用紙に時間と具材と必要人員を色鉛筆で色分けし、十分単位の緻密な製造計画を立てた。自前の運転手だけに頼らず、業界初の試みとしてヤマト運輸の宅急便&日通のペリカン便を活用した配送システムは、マスコミからも注目された。

過去に製造遅れ、配送遅れの経験しか持たない社員たちからは、「絶対に、不可能だ!」「これで、専務は終わりだ!」などと揶揄された。

「絶対に、計画通りに終わらせてみせる!」

大見得を切った恭平は、師走二十九日の午前零時に長靴を履いて現場に入り、不眠不休で陣頭指揮を取り続け工場を歩き回った。そして、例年なら大晦日の夕方までかかっていた製造が、受注の倍増にもかかわらず予定通り午前九時に終了し、午後五時には全ての配送が完了した。

配送完了の報告を受け、六十五時間ぶりに長靴と靴下を脱いだ恭平の足の裏は、白くふやけて感覚を失っていた。睡魔と闘いながら車を運転し、自宅に辿り着いた恭平は、そのまま深い眠りに落ちた。目覚めて雑煮を食べ、子供たちにお年玉を渡したのは、元日の翌日の昼過ぎだった。