【前回の記事を読む】「絶対にやってみせる!」マスコミも注目した業界初の試みとは

人生いろいろ幕の内弁当《三十二歳〜三十五歳》

石坂軍団が来広し、テレビ局での記者会見は開局以来のファンが集い、一目でも慎次郎を見ようと詰め寄った群衆の圧力でガラス張りの大きな窓がミシミシと音を立て、局側を慌てさせた。そうした中、広告代理店の配慮もあって、恭平と大泉社長は慎次郎や渡辺祐也の直ぐ近くに控え、会見後の食事に備えた。

慎次郎夫人の指示を忠実に守った、減塩とカロリー計算の行き届いた松花堂弁当の上には、恭平が友人のイラストレーター・内道宗廣に依頼して仕上げた、宮島の大鳥居を背景に紅葉が舞い石坂慎次郎と渡辺祐也の似顔絵がポーズを取る「東部警察PARTⅢ」の掛け紙が鎮座していた。漆器の松花堂弁当を見た慎次郎の表情が一変し、発せられた声に恭平は縮み上がった。

「誰だ! こんなモン作ったのは、誰だよ!」

小さく浅い呼吸を一つして、恭平は前に進み出た。

「済みません。私が作りました」

「おぉ、お前さんか。気に入ったよ! 日本中をロケして回ったが、こんな気の利いた弁当は、初めてだよ。さあ、一緒に写真を撮ろう」

てっきり𠮟られると身も心も硬直させていた恭平は、思いがけぬ誘いに身体中の筋肉を一気に弛緩させた。額の汗を拭き上目遣いに凝視した慎次郎は、座っているのに仁王様のように巨大で、対峙して立ち竦む恭平は実に矮小な存在に思えた。

「ありがとうございます。私よりも、ウチの社長をご一緒させてください」

とても横に並ぶ勇気が持てなかった恭平は、それだけ言って二歩三歩と後退りした。

それからの十日間、恭平は石坂プロの一員になったかの如く、撮影現場に付きっ切りとなり、五十食前後の朝食と百食余りの昼食をロケ地へ配達するのが日課となった。日替わりで同行させた二〜三人の女子社員たちは嬉々としてお茶の接待をし、撮影の合間に写真を撮ったりして、帰社すると留守番の仲間たちに自慢していた。

お互いを「専務」と呼び合う石坂プロの大林専務から、恭平は初日の撮影現場で声を掛けられた。

「おい、専務。このロケ弁、市販しているのか」

「何を言っているんですか、専務。そんな勝手を許してもらえる訳ないでしょう」

「専務は商売人じゃないなぁ。『渡辺祐也も食べている東部警察弁当!』って売れば、間違いなく売れるよ」

小躍りした恭平は、「東部警察PARTⅢ弁当」のチラシを作成し、給食先に配布した。一食千円の日替わり・東部警察弁当は、ご飯の美味しさにこだわって最高級のコシヒカリを使用しており、イラスト入りの掛け紙と相俟って人気を博した。

最終日の撮影は、元宇品の廃屋まがいの倉庫で行われた。何処から運んできたのか直径一メートル程の大鍋が据えられ、驚いたことに渡辺祐也や太地ひろし、三村智和などの錚々たる出演者が「軍団鍋」と称される豚汁を作り、恭平や同行の女子社員もご相伴にあずかった。豚汁を掻き込んでいた恭平は、大林専務から声を掛けられた。

「おい、専務。東部警察弁当は売れたか?」

「はい、お陰様で売れました!」

「良かったなぁ。じゃあ、三割とは言わんが、二割だけ請求書から値引きしておけよ」

啞然として反論する術もなく、恭平は同じ専務として格の違いを痛感させられた。