【前回の記事を読む】大和朝廷から鎌倉幕府まで、各時代を納めた日本の覇者たち!

第一章 明治維新とは何だ

第二節 大日本帝国の国体と装備

第一項 日本国の時代の流れと為政者・権力者を知る

(五)室町時代(一三三六~一五七三)後醍醐天皇ごだいごてんのう正親町天皇おおぎまちてんのう

足利尊氏が京都洛中に幕府を開設。征夷大将軍に任命される。一五代足利義昭まで続く。徳川幕府と同じ一五代であるがそれ程の印象はない。

(六)安土桃山時代(一五七三~一六〇三)正親町天皇~後陽成天皇ごようぜいてんのう

室町時代の中に南北朝時代、戦国時代、又は織豊時代と呼称される時代区分の仕方もあるが、ここではその区別はしない。織田信長、豊臣秀吉が活躍した。しかし信長は正親町天皇からの征夷大将軍の任命の招請を拒否した。秀吉の時に全国統一が出来て封建制度の下地が出来上がるが、これも征夷大将軍の任命は受けず、摂政・関白・太閤殿下と別の呼称を獲るが、武家政権の歴代では最高の官位であった。東アジアに於ける豊臣政権中心の中華構想も付け焼き模様ではあるが、それなりに出来上がり、中国、朝鮮を支配するの夢想も見る。この構想の延長線上に明治政府の征韓論(詳細は第五章)が出来上がる。

(七)江戸時代(一六〇三~一八六八)後陽成天皇~孝明天皇こうめいてんのう(明治天皇の父・京都御所最後の天皇)

徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸(関東地区で鎌倉よりも更に北部)に幕府を持つ。日本史学の中では最も長い武家政権で一五代将軍徳川慶喜まで二六四年間の長期政権となる。この頃は世界的に産業革命が広がり、欧米の外国船が植民地と開港を求め、日本近海にも出没するようになった。中国のアヘン戦争、露国の箱館開港、米国の江戸湾入港等の通商外交が頻繁ひんぱんとなる。

(八)明治時代(一八六八〜一九一二)初代明治天皇・睦仁天皇むつひとてんのう

二十歳大政奉還が成り、徳川幕府は消滅。東京に天皇による政権が樹立され、日本の首都は東京と定められる。東京とは文字通り、東の京である。従って本来の京都の「御所」はそのまま、存在させて東京に仮の御所を江戸城の中に設営した。ここに大日本帝国は開国となる。本編の主題となる明治維新はここから世界の先進国・列強国にして跋扈ばっこすべく、明治天皇の大号令が鳴り響くことになる。

以上は筆者が漠とした日本史の時代の一部を書き記したが、読者の皆さんは充分ご承知の範囲ではあるので、さらりと復習・確認の為に流し読みでよいと思うが一読は望みたい。このあたりの認識に根拠を持てない読者はスタートの時点での日韓関係の解釈に整然とした理解が出来ず、彷徨うことにおちいり易い。日韓関係は意外に濃い。易しく理解されたい。ここらあたりの内容については、先行学者の多数の異論も想像される、古事記・日本書紀に関する箇所は文献の解釈にまとまりがなく、筆者が触れられる箇所は多くはない。読者は自信、得心の出来る文献の流しで止め置かれたい。

ここまで天皇族の時代と変化を説明したが、神話から明治天皇までの流れた経緯を理解して頂きたく、(一)~(八)まで遠回りをしたが、まず「征韓論」に辿り着く第一歩と思われたい。既に先刻ご承知の読者は流し読みで通過されることを再度お勧めする。