【前回の記事を読む】明治維新に大きな影…佐賀鍋島の「抜け駆け的朝廷接近行為」

大日本帝国を取り巻く世界(東アジア)の環境

第一節 韓国・朝鮮の歴史

地勢と環境

日本という国は往時の諸外国にとっては謎の国であり、貴重な貿易相手でもある。その先は有望な植民地候補であったとみてよい。マルコポーロの『東方(とうほう)見聞録(けんぶんろく)』にもあるように“黄金の国ジパング”であったと欧州には通信されていた。もっともマルコポーロ自身は日本に上陸してはいない。従って「伝聞、ニッポン評判記」といったところであろう。

ルイス・フロイスのキリスト教布教に(まつ)わる日本人観察記も大きく影響したものと見てよい。第二章も長い。ひと息ついてここらで、何故に日本が黄金の国という伝説が残されたかという豆知識をふたつ程、紹介しよう。

☆日本近海の漁場は鯨の銀座通りであった。

ことに日本海は世界でも有数な漁場であったと記録にある。鯨の取り放題であったらしい。現在でも博多と釜山のフェリー船ビートルにはかなりの頻度で鯨と衝突をする事故があるというニュースはめずらしくない。

往時、そこには世界から鯨油(機械油用)を求めて外国船が集合した。ここで欧米諸国が求めた鯨油とはマッコウクジラの頭油であり、サラサラ油が鯨頭中に大量にあったらしい。それ以外の鯨油は粘度があり過ぎ、機械油には適さなく用途も煙の多い灯油、肥料、水田防虫剤といったもので商売品としては量も限られ、価格も安いものであったらしい。

初期の段階では諸外国は、日本国は小さな島国で文化もない土着民の島であるという評価であって、土着民を脅し、薪と飲料水を取り込めばよいという程度の目的で日本という島国列島を補給地と見ていた。参考までに日本の捕鯨はセミクジラ(一〇メートルサイズ)を中心にして湾内に追い込み捕獲していた。

セミクジラは脂肪も多いため、海中深くに逃げ込む行動が遅く、また親子関係が緊密で愛情が深く、子鯨を抑え込めば親鯨は大声で泣き騒ぎ、子鯨から離れないという習性があると言われ沿岸近くを離れない。そこを村中総出で捕鯨の(もり)(やり)で仕留めるという原始的な漁法であった。鯨油は灯りや防虫剤として使い、鯨肉は食用とした。

捕鯨一頭で一〇ヶ村が(うるお)ったと言われる。因みに西欧諸国では鯨肉は犬猫の餌であり第一目的ではなかったようにある。

これらの捕鯨事情は第九代平戸藩主松浦静山の遺作『甲子夜話』(東洋文庫)に世界最大の随筆文庫として残る。ここらの詳細を探索する勇気のある読者は司馬(しば)江漢(こうかん)の『西遊旅譚(さいゆうりょたん)』「勇魚(いさな)(とり)絵詞(えことば)」までを手掛ければ、学芸員なみの知識が得られることを、安請け合いであるが期待する。