【前回の記事を読む】なぜ討幕運動に遅れたのか…知られざる佐賀鍋島藩の藩政事情

薩摩・長州・土佐の「討幕」活動に遅れて参加した肥前佐賀藩の志士たち
 

薩摩も、鍋島の鉄製大砲の技術はなく青銅大砲であった。そのため薩摩藩主島津斉彬は鍋島閑叟と縁戚でもあって、鉄製大砲やアームストロング銃の技術を鍋島藩より譲り受けることにより、「討幕」連帯組に参加させたといった時代の流れであった。

鍋島閑叟直正は後に明治政府の要人、正二位に預かった。これは優れた知識と国内で突出した武器と人材を育て独自の理論を唱えたが、鍋島一族は徳川家康の時代から縁戚関係にあり、他の薩摩、長州、土佐とは一線を画する存在であったことは否定できなかったのではと筆者は認識している。更に深読みすれば佐賀の近代兵器、大砲、アームストロング銃の技術に妬ましき思いもあったのではないかとも推理しておく。

ちなみに徳川幕府の頼る伊豆韮山いずにらの反射炉による大砲は青銅製の大砲であった。その威力は五〇〇メートルくらいでとてもペリーの黒船には届かなかったであろう。

しかし、この佐賀鍋島の抜け駆け的朝廷接近行為は、後々の明治御一新政府の体制に大きな影を落とすことになる。少し長い説明になってしまったが読者はこの点を忘れることなくしっかりと押さえておかないと西郷隆盛、大久保利通、大隈重信、江藤新平、大木喬任、副島種臣等の豊富な人材の行動を理解することが出来ない大切な維新の歴史話である。

第二章 大日本帝国を取り巻く世界(東アジア)の環境

第一節 韓国・朝鮮の歴史

・(この節では、これから征韓論の本論に行くまでの朝鮮半島の事情と日本国の地政学の予備知識として、情報を取り込んでおきたい)

最初に、現代に於ける朝鮮人族(朝鮮民族)の居住地を正しく知り置くために放送大学の教材から、正しい知識を読者にお届けしたい。『韓国朝鮮の歴史』(吉田光男放送大学教育振興会)。浅学の筆者はとてもここまでの詳細を知り得なかった。共に学びたい。韓国では朝鮮半島以外の地域に住んでいる人々も、等しく韓国人の範疇に入れているとある。それを前提に韓国のサイズを確認しよう。