【前回の記事を読む】かつて蔑まれた便所の汲み取り屋、息子が父の後を継いだワケ

赤線通いの皆勤賞!

会社の利益が上がりだした頃、七十三歳になって、会社の一線を退いた会長の末吉は、毎日昼近くまで寝ていて、やがて起きてくると、ゆっくりと約一時間かけて、嫁の勝代が用意した朝食と昼食を兼ねた食事をとった。

末吉は糖尿病であるにもかかわらず、大食漢だった。

大きめの茶碗大盛二杯の飯に、生卵をかけ、鮭の焼いた身をほぐして散らし、その上に味付け海苔を一緒に乗せて、ゆっくりと口に運んで平らげた。他にも、大皿いっぱいに用意されたサラダや漬物を食べつくし、底深のお椀に入った豆腐とワカメの味噌汁も、うまそうに二杯飲み干した。その後必ず「ゲブッ、ウエッ」と大きなゲップをしたうえに、「ブーウーウブィッ」と屁までして、悪臭のするガスを周りに撒き散らした。

妻のフミが、「まったく、どうしようもないね」と言いたげな顔をしながら、ジッパー付きのビニールの小袋に小分けにしておいた、血圧や糖尿病や胃の薬を末吉の前に置いた。そして、コップに浄水器からの水を入れて運んでくると、末吉の右手に持たせておいて、

「さあ、早く飲んでくださいよ」

と言って、水を末吉の口に含ませると、薬の入ったビニール袋のジッパーを開けて、中に入っている一回分の薬を末吉の左の手のひらに乗せた。末吉は、「またこれか、こんなもの、飲みたかねえな」などと駄々をこねたくなるが、既に口の中には、水を含まされているので、それもできずにいると、フミに畳みかけるように、

「また血を吐くほど痛くなってもいいんですか?」

などと脅され諭されるように言われる。

すると我が強い、わがままな末吉だったが、わりにスンナリと薬を飲むのだっだ。

胃潰瘍から胃がんになり、七転八倒の苦しみを味わい、手術して奇跡的に助かった経験のあることもあったからだと思うが、それにしても長年連れ添ったフミだからこそできることだった。

そのフミの偉大さを物語る信じられないエピソードがある。

末吉は胃の手術の後の入院中に、こともあろうに、薬を飲むどころか、昼間病院を抜け出して、途中でビールを買って飲んで、タバコを吸いながらパチンコ店で遊んでいた、という前科があるのだ。

完全看護体制の病院なので、家族が付き添う必要はない。しかし、病院から末吉の素行の悪さを注意する苦情の電話が、あまりにも多く自宅にかかってくるので、やむなくフミが付き添うようになった。

フミが付き添ってみると、大変なことが分かった。病院内では絶対に禁酒・禁煙にもかかわらず、末吉は以前雇っていて今は仕事をしていない飲み仲間たちに、小遣いをやってこっそり酒やタバコを買ってこさせていたのだ。

そして、それを病院の屋上の飲料水を溜めてある高架水槽の陰に隠しておいて、時々そこに行っては、エアコンの室外機の陰に隠れて見舞いに来た仲間たちと一緒に、買ってこさせたアタリメや、柿の種、チーズなどのカワキモノなどを酒のさかなに、タバコを吸いながら酒盛りをしていたのである。他の者たちは驚いてあきれ返っていたが、フミは、初めからどうせそんなことだろうと思っていた。

そこでまず、病院に事情を話して、家族以外面会謝絶にした。当然病院側も大賛成し、惜しみない協力を約束してくれた。さらに、末吉が小遣いをやっている三人の悪友・子分たちに、末吉が払っている倍の小遣い銭を渡して、入院中末吉と会うことも、連絡を取ることも、やめるように頼んだ。それから、「帰りに家に寄ってちょうだい。いいお酒があるから」と言って、三人に大吟醸の一升ビンを一本ずつを持たせた。

フミの策略は、それだけでは終わらなかった。病院の警備室やナースステーションに、高級な「とらやの羊羹」の詰め合わせを付け届けしながら、自分の連絡先と末吉の悪友三人の顔写真を渡して、病院で見かけたら連絡をくれるように頼んだ。腐れ縁でつながっている、末吉と悪友三人である。

フミは、少なくても、末吉が無事に退院するまでは、どうしても厳重に監視してやらなければ、と思った。