もう一度黄金色の光に話を戻そう。強烈な風に吹かれ、額のお浄めが終わり、後頭部のお浄めをしていただいていたとき、道場長から意外な相談を持ちかけられた。道場の御神殿を新しくしたいというのである。

是まで家庭用の小さな御神殿とか、お浄め所の小規模の御神殿は造らせてもらったことがあるが、阿倍野道場は二百畳敷きの大広間で、御神殿も間口二間余りの大きさである。私にはとても手におえる物ではない。私には神様や、組手の皆様に喜んでもらえるような御神殿を造る自信がないので、業者に相談していただきたい。と辞退した。

小さな仕事は自分でこなしてきたが一職人である身には少し荷が重いと感じていた。

次に道場に行ったとき、道場長から再度要請があり、檜材等は奈良で大工を職業にしている組手に、何か所かの市場を案内してもらい、

「良いと思う物を購入すればどうですか、業者に頼むのは商売です。それよりも組手が神様にご奉仕させていただくつもりで作られた方が、神様はお喜びになられると思いますよ」

と、諭された。

私は此の前の黄金色の光を思い出していた。

「あれは何だったのだろう」

御教えの話の中で神様は、お礼とか、ご褒美は先渡しされると聞かされていた。

神様の褒美の先渡しだったのだろうか、それとも、少し綺麗になってから奉仕せよ、とのことだったのだろうか、いずれにせよやらなければいけないらしい。動き出してみると、全て手配されていたかの如くトントン拍子に進むのである。

此処で私は一つ大きなミスを犯してしまった。市場で買った檜材はまだ乾燥していない。材木は何か月か、長ければ何年かかけて自然乾燥させるか、圧力窯で強制乾燥しなければ木が縮むのである。

窯に入れる費用と手間を惜しみ、代わりにやといざねを入れ、五十センチ間隔でボルトで締めつけておけば問題は解決するだろうと考えた。

大本教の、出口王仁三郎師の『霊界物語』の中で檜は神様用の木であり、人の住む家は松と杉で作れ、という一文が頭にあったのかもしれない。集成材は念頭になかった。圧力窯に入れる一手間を惜しんだ結果は数か月後に顕在化する。貼り合わせた箇所、重ね合わせた箇所に数ミリの隙間ができてきたのである。何という失態、悔やんでももう手遅れというもの。隙間ができた箇所に埋め木をする以外なかった。

御神殿も、いや、阿倍野道場も、姿、形もなくなるのである。教え主様が中伊豆に、主座建立の資金調達の為、本部名義になっていた阿倍野道場を売却したのである。