【前回の記事を読む】霊感がある兄…「チャンネル」を変えて幽霊を見えなくする方法

天狗岩にて

「以前習った経典の中で幽霊が出る経文があるよ。幽霊とは一言も書いてないけどな。」

「雑阿含経堕胎教という経典の中に出て来る幽霊は悲惨としか言いようがない内容やで。御釈迦様の弟子のなかで神通力第一といわれる目連さんと智慧第一といわれる舎利子が誘い合わせて大舎城へ乞食に出かけたときに、目連さんが欣然として微笑したというんだ」

其れを見た舎利子が目連に、仏の弟子が何もないのに微笑することはない、なぜ微笑したのかと尋ねると、

「今は答えるときではない。しばらく乞食し帰って御釈迦様の前で是のことを問うてくれ」と言って、乞食が終わり、御釈迦様の所に帰った。

「其れから此の経の話が始まるんやけどな。御釈迦様の前で舎利子が目連に尋ねると、我路中に於いて、一大身の衆生の体を挙げて皮無く、形肉段の如く、虚に乗じて行けるを見たり。烏・鳶・クマタカ・鷲・野干・餓狗随って肉を食いちぎり或いは脇肋より内臓を探り取って之を食う、痛みに苦しみ唸ったり号泣したりしているのを見たと言うのや。

其れを聞いていた御釈迦様は、その場にいる弟子たちに、此の衆生は過去世のとき此の大舎城に於いて自ら其の胎を堕せり。其の罪で地獄に堕ちてすでに百千歳無量の苦を受け、まだ罪は消えていなくて今此の身を得るも、続いて苦を受けている地獄と思う光景が地獄ではなく、地獄から出てきても報われることのない苦を受ける。

桐山師の教えでは、女だけでは子はできない。胎子の父親である男も同じ苦を受けると教えられている。水子供養をいっているお寺は沢山あるけど本当にみんな供養されて救われているのだろうか」

「水子といっても堕した子と自然というか自分から降りた子とは全く違うと思うよ」

堕胎経の講義のときに好戦経も合わせて講義があったけど、ほぼ同じ内容だったと記憶している。幽霊が出てくる経典があるとは知らなかった。