当時、現在の私の年齢に近かった学年主任の先生が、私の方に近づいてきて、「奈良先生、さっきの生徒の言葉をどう思う?」とやさしく尋ねた。

私は、自分自身が情けなくて、恥ずかしくて、しかたがなかった。

「勝つことよりも大切なことがある」

そんなもっとも簡単で、もっとも大切なことを、忘れていた自分自身が許せなかったのである。

仲間の失敗に対して「ドンマイ」の一言が言えない若者が増えているという。それどころか、仲間の失敗が許せず、とことん責めようとする心ない若者が多いという残念な風潮が感じられる。

すべては、心の狭い大人の社会を反映しているのかもしれない。しかし、本来、子どもたちがもっている「相手の心を気遣う優しい気持ち、お互いを想いやろうとする心」を大切にしていかなければならないと、改めて思ったことを覚えている。

第二章 私自身を教え導く

この章のはじめに

中学校の教員としての私自身は、自分なりに仕事に全力を尽くし、平凡ながら、その職を全うできたことに満足し、誇りにも思っている。しかし、一人の家庭人として、また父親としての自分を振り返って見ると、明らかに落第であったろう。

仕事に時間を費やすあまりに、家庭のことはほとんど家内に任せきりだった。

次女が障がいをもって生まれてきた段階で、家内は職を去る決心をしたが、その思いは、筆舌に尽くしがたいほどの、まさに苦渋の決断であったと思う。

家内は私と同じ、中学校の国語の教員だった。私同様に、いや私以上に、生徒にわかりやすい授業を工夫することが生きがいだった。黒板に書く文字も、私など足下にも及ばないくらい美しく整っていた。

自分の生きがいである教職を捨てて、家内は家庭に入り、二人の娘の育児に専念し、家事のすべてを引き受けてくれた。複数の持病を抱えた私が、なんとか定年を迎え、さらにこの仕事を続けていられるのは、紛れもなく家内のおかげである。