第2章 解釈

2

由美の言う通りかもしれない。よく聞く話がある。コップに半分の水が入っていると。「もう半分しかないと思うか、まだ半分あると思うか」。解釈しだいなんだと。ポジティブに考えて頑張ろう、のたとえだ。

自分がしていることは悪いことではない。善悪の判断は他者がするのだ。それをするほど自分は偉くない、とケントは自分を納得させようとした。

「……由美さんが言う通りです。考えてみればクルアーンの解釈にも通じます。というのは、イスラーム教徒の聖書クルアーンはアラビア語で書かれています。正確に言うと書かれているものはクルアーンではないんです」

ケントは自分でも驚くほど熱く解釈について語った。「どういうこと」と由美は首をかしげた。

「洞窟の中で神からの言葉を聞いたのがムハンマド。聞いたのではなくて、神からの言葉を受け取ったんですね。だから預言者です。彼はその言葉をそのまま弟子に言った。言葉で伝えたんです。そんな神からの大事な言葉ですから紙に書いて残すなんて失礼なことはできない。言葉のイントネーションやリズムそのままに弟子に伝えた。わかりやすく言うと歌ですね。実際にクルアーンを読み上げているのを聞くと、不思議と心に染み入るんです」


「それが私達の恋愛感情とどう関係するの?」


「すれ違いが生じる可能性があるということです。つまり、歌のようなリズムとイントネーションで伝えられるべきクルアーンは、書物にもなっています。この時点で歌から歌詞だけを抜き出したということです。例えば、上を向いて歩こう」


「え、なんのこと?」


「標語みたいですよね。でもここにリズムが付くと東南アジアで有名な曲になるんですよね」

そう言ったが、ケントはなぜ上を向いて歩こうという曲を思い出したのか自分でも分からなかった。古くて懐かしい歌は歌詞がしっかりしている。歌詞を伝えるためにリズムを付けたのだろう。ケントは頭に浮かんだ言葉をそのまま声に出した。

「本来は歌のようにして伝えたかったことが、違った解釈を生んでいる可能性はあります。さらにですよ。アラビア語で唱われたクルアーンが英語や日本語にも翻訳されています。もちろん立派な宗教学者や言語学者の専門家が間違いがないように翻訳したのでしょうけど、解釈が異なっていても不思議じゃないですよね。本当の本質には近づけないかもしれないですね」

由美は頷いた。そして胸を張り、自信たっぷりに言った。

「ほらね。私の言った通りでしょ。男女の心のすれ違いの原因は、男女で解釈が違うからだってことは簡単に理解できるのよ。だけど、科学的に証明された真実、と言われると、そこに解釈の違いが入り込むはずはないって、みんな思っちゃうのよね」

「真実を示せって言いますけど、目に見えない真実もありますよね」とケントは静かに言った。

ムハンマドはどんな声質でどんな音量でクルアーンを伝えたのだろう。ムハンマドはどんな人だったのだろう。顔を思い出せない。日本の戦国武将なら会ったこともないけど思い出せる。福沢諭吉も沖田総司も。ムハンマドは思い出せない。1年近くイスラーム教の勉強をしてきたのに。

「そうですよ。目に見えない形で伝えることが大事な時もあるんですよ。イスラーム教の教祖のムハンマドの顔は残されていないんです。肖像画みたいなものは無いんです。銅像とか石像とかの偶像を禁じているんです。イスラーム教は。つまり、真実は目に見える形で示せるものではないと伝えているんですよ、きっと。だからハラールはこれだって目に見える形で示すことができないんですよ」

ケントは自分の言葉に納得した。きっとそうだと思った。

「なるほどね。信者それぞれが心に理想的な形をえがけばよいと。それが信仰の形だと。だとしたらなおさら、白砂糖がどうかは例のイスラームなんとかに任せればよいことで、私達がどうこう判断することじゃないわね。そうよ。良かったじゃない。だからケントくんあんまり心配しないで。ゆっくり休んで」

由美が足元の布団をまくり上げ、足の付け根あたりを優しくなでた。しばらくして、「あらケントくん。この状態をどう解釈すればいいのかしら」と言った。それは偶像ですと答えた。

※本記事は、2019年12月刊行の書籍『きみのハラール、ぼくのハラール』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。