第2章 解釈

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食事が終わり、例の彼女が食器類を下げに来た。マリーはアイスカチャンというサイコロ状のマンゴーなど沢山のフルーツが乗ったかき氷を頼んだ。同じものをくださいと僕は言った。

「ところでマリーさん。僕の会社が販売してるハラール食品スパークウエル、飲みました?」

「先日見かけたので買いました。たしかパキスタン系の方が経営しているハラール食材店でした。一緒に行った友人は美味しかったって言っていました。体にいいんですよね?」

「まだ飲んでないのですね?」

「もしかして飲んだのを期待して、感想が聞きたかったですか?」

テーブルに載せた右手を軽くあげて左右に振った。

「もし、あくまで仮定の話ですよ。もしマリーさんがハラールだと思った食品を食べたり飲んだりして、その後にそれが実はハラールでなかったと分かったらどう思いますか?」

しばらく考えてからマリーはゆっくりと丁寧に言った。

「これまでそういう経験はありません。でももしそうだとしたら、気持ち悪いですね。いけないことをしてしまったという後悔ですね。懺悔したくなりますね。そういう誤った選択をした自分を責めますね」

「自分を責める?」

「そうですね。作った人が悪いのではなく。食べてしまった自分を責めますね」

「作った人は許せても食べた自分は許せないんですね」

作った人は許せても食べた自分は許せない。頭の中で繰り返した。

「イスラーム教徒を騙そうと思ってハラール食品を作る人はいないと思います。そうするメリットがないからです。イスラーム教徒を苦しめるなら他に方法はいくらでもあります。無差別テロを裏で操っているのがイスラーム教の教えだとデマを流せば良いのですから。そう思いませんか?」

マリーはケントの目をしっかりと見つめ、いつになくハッキリとした口調で言った。

「ケントさんもイスラーム教徒のことを想って、日本で暮らしやすいようにと思って商品を作ったのですよね? まさか騙そうとは思ってないですよね?」

ケントは目をそらし紅茶に向けた。マリーは続けた。

「私の友人が先日、原宿に行ったそうです。竹下通りの路面でシシカバブが販売されていて、店先の看板にはハラールマークが付いていたそうです。友人はトルコ人と思われる販売員と少しばかりの会話をしてから購入を諦めたそうです。会話から、その販売員が本当のイスラーム教徒ではないと判断したからです。友人の信じるイスラーム教とは違うものを会話の中から感じたそうです」

マリーは肩をすぼめ、両手を広げた。

「判断するのは私達イスラーム教徒個々人です。ただ正直なところ自分自身の判断も時には狂うことがあります。狂うというよりも緩くなることがあります。病気の時などです。体が弱っている。何か力の付くものを食べたい。肉などがいいと言われます。その時にはハラール処理した牛肉かは考慮しないこともあります。仮に入院したら同様でしょう。医師の指示に従い食事をすることになります。ハラールにこだわることはできません」

マリーの体の中に黒い雨雲が入り込み全身を黒く汚していくように思われ気分が悪くなった。大丈夫ですかとマリーは聞いた。大丈夫だと答えた。

「イスラームの教えを学べばハラールの判断がおのずとできるものです。その先にたまたま作らざるを得ない商品があった。それを作った。人々に喜ばれた。そういうことではないでしょうか?」

マリーはまた大丈夫ですかと聞いた。すみません。用事ができてしまったので今日はこれでと言って、ケントは席を立った。

※本記事は、2019年12月刊行の書籍『きみのハラール、ぼくのハラール』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。