初めての担任 ~悪は絶対許さない!毎日がドラマチック!?

着任後、2年間教務部を勤め上げ、いよいよ学級担任である。1年生の入学時から3年後の卒業まで、学年という分掌〈注1:部署のこと。学校社会では「分掌」という呼称をしばしば使う〉で生徒と関わりを持った。その3年間の中で、1年担任の時が一番生徒指導に燃えた時期でもあった。

当時の私は、生徒指導を刑事や検事のような感覚で捉えていた。そして「悪は絶対に許さない」「正直者が馬鹿を見ない」を信条とし、生徒と真正面から対峙した。少なくとも自分の学校では、少なくとも自分の学年、自分のクラスでは、と意気込んでいる自分がいた。

そしてそれは異常なまでに頑なで、柔軟性のかけらもないガチガチのスタイルだった。妥協とは悪事を許すこと。許すということは悪を認めること。だから断じて安易な妥協はしてはならない。そんな頑なな考えで凝り固まっていた。

そして当時は、東京地検特捜部に憧れ、映画やドラマも検事や刑事ものをよく観て疑似体験をしていた。その頃流行っていたアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『コマンドー』やシルヴェスター・スタローン主演の『ランボー』などにも異常な興奮を覚え、ある種の“勇気”をもらっていた〈注2〉。

また、ある時は、指導に乗ってこないクラスの生徒に対し、担任の独断で「君は何度指導しても改善が見られないので、明日から1週間、自宅謹慎を命ず。ついては、明日から学校に来なくてもよい」と。こうした担任の独断による「懲戒」〈注3〉指導を数回行った。「懲戒」は、言うまでもなく、校長の専権事項であり、一教員の判断で行うことのできるものではなかった。

このことは、しばらくして管理職の知るところとなり、私は校長室に呼ばれた。校長は「どうして勝手なことをするのか?」と尋ねられたので、私は「校長先生! このままでは校内に悪がはびこります。私はこの学校をよくするためにやりました」と、悪びれることもなく平然と言ってのけた。

毎日、毎日がドラマチック!? で、次から次へと、とんでもない事件が起きる。そんな中で、自分が自分に酔って突っ走っていたような気がする。そして、同じ学年の若手同僚と定期的に“張り込み”を行い、隠れて煙草を吸っている生徒や無断でバイク通学〈注4〉をする生徒を“検挙”するようなこともやっていた。

この頃の私は、教師なんか辞めて刑事をやるのも悪くはないなと本気で思っていた。そんな気にさせたのは、自分のクラスには、とりわけ問題行動を繰り返す大変な生徒が4名〈注5〉もいたからかもしれない。

授業の中抜け(サボリ)、無断早退、喫煙、バイク通学、万引き、暴力などが日常的に繰り返され、揚げ句は警察と大捕り物をやる始末。拘留されている生徒を引き取りに行った時、初めて警察の「取調室」なるものを目の当たりにした。テレビドラマで見るのと全く同じだった。

私は担任として、事あるごとに家庭訪問を行った。ある時、母親が私を出迎えるなり、いきなり土下座をされて、「やめさせないでくれ」と懇願されたことがあった。そしてテーブルに目をやると、寿司桶が用意されていた。その時の訪問は、まさに退学勧告を伝えるためのものであったので、さすがに箸をつけるわけにはいかなかった。

その後、その生徒は進路変更を表向きの理由として退学となった。後日母親から長文の手紙をいただいた。その手紙の中にこんなくだりがあった。「先生は、腐った果実は切り捨てる〈注6〉というお考えのようです。それが本当の教育なのでしょうか。」この言葉は、いまだに私の心に突き刺さったままである。