2006年

二〇〇六年フランスのミュージックシーン

十月、フランスも秋たけなわであるが、紅葉はあまりぱっとしない。カエデの赤、イチョウの黄色のようなあざやかな色にはならなくて、茶色っぽい黄色になって散ってゆく枯葉が多い。山のほうへ行けばまた違うのかもしれないが、ここレンヌ市内や近郊ではそんなものだ。

でも味覚は秋を感じる。ワインに続いて、スーパーマーケットではいろいろなきのこが並んでいる。日本のしいたけやマツタケはない(後日しいたけはレンヌの朝市でその名もシイタケで売っているのを見つけた)がマッシュルームはもちろん、他にも黄色や灰色など名前を知らないきのこがたくさん並んでいる。毎週買ってきては、バター炒めやきのこパスタにして食べている。

さてフランスの音楽である。私は音楽がない生活は考えられないというタイプなので、赴任するとき二百枚ほどのCDを日本から持ってきた(ほとんどがJAZZ)。こちらに来てからは、西にジャズフェスティバルがあると聞けば出かけて行き、東にシャンソンのコンサートがあれば行き、はたまたブルターニュの伝統音楽祭があると聞けば、へえどんな音楽だろうと足を運ぶという具合である。

どうもミネギシさんは音楽が好きらしいといううわさも広まりつつあり、「こんなコンサートがあるけど知ってる?」と情報を教えてくれるフランス人もいる。

先日スーパーにあるCDコーナーで、勧められたブルターニュ音楽のケルティックハープ奏者のアルバムを買いに行ったとき、目当てのものがなくがっかりしていると、ちょっと気になるメロディが流れてきた。ビデオモニターではそのプロモーションDVDを繰り返し映していて、そこではおじさんがヘッドフォンをつけて歌っていた。その旋律がとても印象的だったので『Rouge Sang(ルージュ・サン)』というそのCDを買ってしまった。

その一曲目に入っているのが流れていた曲で、題名は『Les Bobos(レ・ボボ)』。歌っているのはRenaud(ルノー)。フランス人に聞くともう五十歳を過ぎたおじさんということである。会社で「この歌手知っている?」とフランス人に聞くと、皆が「もちろん知っているよ」と言う。ラジオで『Les Bobos』が流れない日はないというほどヒットしているらしい。

「私、コピーさせてもらってもいい?」と秘書のジュリエットに聞かれたので「いいよ」と答えた。人事のナタリーに「このCDコピーしようか?」と聞くと、「是非お願い」という返事。そうか、そんなに人気があるなら、みんなにコピーしてやろうと思って、十枚ほどパソコンでコピーし配ることにした。経理のカトリーヌから「ミネギシさん、歌詞がわかるの?」と聞かれ「全然」と言うと、がっかりしたふうで、このRenaudという歌手は、反体制というかプロテストソングを歌うので歌詞が重要なのだという。

Les Bobosというのは、ブルジョワ(つまり金持ち)と芸術家という言葉のそれぞれ頭の部分をくっ付けたもので、金持ちは芸術家にあこがれ、芸術家は金持ちになりたがっている世相を風刺しているのだと解説してくれた。日本でいえば岡林信康や高田渡がずっと人気を保ち続けて、今も社会的な歌を歌い続けているようなものだろうか? 歌い方はどことなく吉田拓郎風である。

でも配った人は誰一人として「それ持っているよ」という人はいなくて、日本人の私が何でフランス人歌手のCDをせっせとフランス人にコピーしてやらなくてはならないのだろう?という思いが一瞬頭をかすめたのであった。でもまあ喜ばれるのだからといいかと、人事と経理の女性陣に配って歩いた。

何人かから「今度、私が好きな歌手のCDをコピーしてくるから」と言われ、「うん、楽しみにしているよ」と私。そして、ナタリーからは「これ、私が一番好きな歌手よ」とJean-Louis Aubert(ジャン=ルイ・オベール)のCDを渡された。フランスのシャンソンの香りはほとんどなくて他の国のポップスと言っても通じる。スティングにも似ている。

マリー=アニックからは「十五歳の娘が好きでよく聞いている歌手よ」とChristophe Mali(クリストフ・マリ)を(一曲目はリズムがボサノバでおっ!と思ったが、でも基調はシャンソン。なぜティーンエージャーにロックやラップではないこんな音楽が人気なのか不思議だ)。ファビアンヌは「フランスでとても有名で私が大好きな歌手よ」とAlain Souchon(アラン・スーション)。これは私も聴いたことがある歌手。フランス歌謡界の大御所でフランス版北島三郎か五木ひろしといったところか? 聴いてみるとそれぞれ個性がありとても面白かった。

でも正直言って、これらがマイケル・ジャクソンやマドンナ、セリーヌ・ディオンのように世界的なセールスを記録するとは思えなかった。もちろん、フランス語という制約があるとは思うが、私にはフランス的感性を色濃く反映している音楽だからではないかと思われた。音楽は普遍性があるジャンルのような気がするが、案外地域的なのではないかと。

映画やアニメではフランスでも日本製が受け入れられている。テレビでは黒澤明の映画を放映するし、書店ではMANGAと表示された日本のコミックコーナーがあり大人気である。しかしCDショップでは日本の音楽、SMAPやモーニング娘。そして私にはなじみ深いサザン、ユーミン、中島みゆきや井上陽水、お気に入りの中森明菜などはまったく見当たらない。書店に三島由紀夫があるが、音楽では日本発のものは皆無と言ってもよいと思う。

ジュリエットは数年日本に住んでいたことがあり、フランスに帰ったあと友達とドライブの際に日本でよく聴いた安室奈美恵をかけたところ、その友達から「なにこの音楽? へんなの」と言われ、すぐ止めたと言っていた。アジアではJ‐POPはクールだとして人気があるようだが、ヨーロッパでは全く聞かない。アメリカではパフィーが人気のようだが、それも特殊なケースで日本のポピュラー音楽がアメリカで注目されているとは言えないだろう。宇多田ヒカルもアメリカではぱっとしない。

先にあげた人気があるというフランス人歌手のCDを聴いて、面白いとは思ったものの、感動して何度も聴いてみようという気にはならなかった。

アメリカやイギリスのポピュラー音楽が世界的に人気を博すのはその土着性が希薄だからではないかと思う。土着的雰囲気濃厚な音楽はたとえ一時的には流行っても、長続きしないのではないか。あの映画『タイタニック』で世界的に流行ったケルト音楽もそうである(エンヤは今でも世界的人気があるのだろうか)。ではレゲエやサルサはどうなんだと突っ込まれると、答えに窮するが……。

ま、とにかくいまはルノーの『レ・ボボ』にはまっているのであった。

ルート・ドュ・ラム

十月二十九日から冬時間になり、時刻が一時間遅くなった。その日の午前二時から三時になる時にもう一度午前二時にすることで調整するという。朝は遅くなるが、夕方は五時でも薄暗くなってしまい、暗いうちに会社に着き、暗くなって帰る毎日になった。天気も曇りの日が多く、これからずっとこんな暗い日が続くかと思うと気が重い。日本の冬の晴れた日が恋しくなる。

その十月二十九日にRoute du Rhum(ルート・ドュ・ラム)というヨットレースを観に行った。ルート・ドュ・ラムという名のヨットレースがあるのを私は全く知らなかった。ヨットレースといえばアメリカズカップくらいしか聞いたことがなかった。

ルート・ドュ・ラムは四年に一回開催される、フランスのSaint-Malo(サン・マロ)という港から大西洋を横断して西インド諸島(そこにフランスの海外県がある)に至る二週間にもわたる長距離ヨットレースだ(これまでの最短記録は十二日と八時間)。クラスは大きく分けて二つ、胴体が単体だけのタイプと、胴体に翼のようなフロートのような補助翼を付けたタイプである。その中でもさらに細かくクラス分けがあるようだが、いずれも一人乗りヨットである。

サン・マロは私の住むレンヌから七十キロくらいの距離にあり、今回はある団体が主催する観戦ツアーにたまたま参加することができたのだった。 日曜の朝七時に集合した私たち(六十人ほどで日本人は私一人)はバスに乗り込み、一路サン・マロに向かった。港のカフェで朝食をとったあと、船に乗り込んだのが午前九時半。空はどんより曇り霧雨が降り続くあいにくの天気であった。私たちの船は二百人ほどが乗れる大きさだ。

さて乗り込んではみたもののいっこうに出港する気配がない。サン・マロ港から外海に出るには間にある関門が開かないと出られないのだ。多くの船が港内をぐるぐる回りながら、いまや遅しとその門が開くのを待っている。

各ヨットのスポンサーとなっている企業の社員を乗せた応援船、私たちのような観客船、そして個人所有の船などが湾内にひしめき合っている。ようやく門が開いたのが十一時過ぎ。私の乗る船を先頭に、競うようにヨットレースのスタート地点に向かう。そこにはすでにレースに参加するために前日のうちに港を出港し、調整しているヨットが七十艇あまり。先に到着していた数々の船が行き交っている。外海に出ると、雲の合間から薄日が射す天気に変わってきた。観客としては絶好の天気だが、風が弱く、ヨットにはあまりよくないコンディションだ。

出発は午後一時。待つ間に、私たちは昼食。でもエンジンを止めて波に任せた船の揺れのせいであまり気分がよくなく、配られた弁当(もちろん日本風の弁当ではなく、鶏肉、牛肉のともに骨のついたもの、クスクスのような穀類、サラダ、魚のすり身、そしてパンにデザートのプリン)を下を向きながらつついていると本格的に船酔いしそうになったので、少し手を付けただけであとはワインのみであきらめた。

ようやくスタート時間。私たちの船は絶好のポイントで待ちかまえようと一足先に出発した。見渡すとヨットのマストとカラフルな帆が林立している。なにせ七十艇ものヨットが勢ぞろいである。でもいつスタートしたのか、どれが先頭なのかよくわからない。周囲には大小の夥しい数の船がぐるぐる回っている。上空には十機もの取材ヘリコプターが旋回している。

そんな喧騒状態の中を先頭とおぼしきヨットが悠然と近づいてきた。周囲には併走する応援船やあとになったり先になったりする観客の船また船。先頭のヨットは胴体から両側にフロートを伸ばしたタイプ。正面や真後ろから見ると鳥が翼を広げたような姿で、そのヨットが大勢の船を従えながら滑走してくる様はほれぼれするほどカッコよく、海のF1とも言われるわけがわかった。だが船内はすごく狭いらしく、仮眠程度で二週間大西洋をひた走る、過酷なレースである。

次々に走ってくるヨットと併走しながら、今度はこのヨット、次はこのヨットと私たちの船も走り回る。右舷で観たと思ったら、オッ次は左側だと皆デジカメを構え、船内をいったり来たりと大忙し。船酔いをしている暇がないくらいだ。

二時間ほどそうしているうちに私たちの目指す最終地点に来た。そこはCap Fréhelという岬の近くで、必ず通過しなければならないポイントがあり、これまで広がって走って来たヨットが狭いポイントをめがけて縦一列になるので、順位がはっきりわかる。見物のために先に来て待っている船がずらりと並んでいる。陸の岬にはそれこそ黒山のひとだかりだ。その前を先頭のヨットがあの翼を広げた姿で悠然と通過してゆく。そして二番目、三番目……。それぞれ、無数の船を従えている。その優美な姿に、う〜ん素晴らしいと見とれてしまった。

三十分ほどそこで次々に通過する(といっても結構差がつくもので、三分の一の数も見なかっただろうか)ヨットを見送ったあと、Uターンして帰路についた。他の船も同様に引き返し始めた。途中、先頭集団から遅れたヨットがぽつり、ぽつりと、でも優美に走ってくるのとすれ違う。下位グループのヨットには応援船や観客船はなく、もちろんヘリも上にはいない。ちょっと寂しい感じだ。

それらのヨットが暮れかかった西の水平線を遠ざかってゆくのを見ながらサン・マロ港に帰ったときには午後五時になっていた。とても印象に残る一日であった。

レースはフランスの全国ネットでテレビ中継されたようだ。翌日、会社で「ミネギシさん、船酔いは大丈夫だった?」「船で観られてラッキーだったね」「私はテレビで観ていたよ」と声をかけられた。その後も毎日、テレビのニュースや新聞で途中経過を報じている。ちなみに私は招待されたので無料だったが、本来の料金は二百八十ユーロ(一ユーロ=百五十円換算とすると四万二千円)ということでびっくりしたのだった。

映画『男と女』

フランス映画というと何を思い浮かべるだろうか。ゴダール、フランソワ・トリュフォー、最近ではリュック・ベッソンなどか。私にとってのフランス映画はクロード・ルルーシュ監督の『男と女』(一九六六年作品)そしてルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(一九六〇年作品)である。ともに公開時には観ていないのだが(まだ映画を観る年齢ではなかった)、その後名画座で観て感動したものだ。

高校のときの現代国語の教師が映画好きで、授業中によく映画の話をしてくれたのを思い出す。その映画談義がとても印象に残っていて、大学に行ってからその先生が話していた映画を、渋谷の全線座、東急名画座、銀座並木座、新宿昭和館などで(このうちどのくらい残っているのだろうか)授業をさぼって観たのだった。

その教師はとりわけ高倉健や藤純子などのやくざ映画が好きで、「いいか、高倉健と池部良がラストシーンで殴りこみに行くとき、必ず雨か雪が降っているんだ」「藤純子が緋牡丹のお竜で啖たん呵かをきる時のカメラの構図がこうなんだ」と時には授業そっちのけで熱く語っていた。

その教師が洋画で取り上げていたのが『男と女』であった。「お互いが子持ちゆえの抑制のきいた愛」と語っていた。主人公の男女が愛を通い合わせることができたと感じたとき、そのことを象徴するかのように海辺を犬が喜びを表しながら走り回るシーンにフランシス・レイの主題歌(ダバダバダ、ダバダバダという、私の年代では誰でも知っているあのメロディー)が被さる場面は映画史上に残る秀逸なシーンだと思う。

女優のアヌーク・エーメも素晴らしく、私にとってフランス人女性のイメージは彼女によって形作られたのであった。

ずっと後のことだがその高校教師は鉄道自殺してしまったので、それらの映画と共にいっそう強烈に印象が残っている。

フランスに来たとき、『男と女』と『太陽がいっぱい』のDVDを買おうと思って、いくつかの店に行って探してみたのだが、クロード・ルルーシュ監督コーナーでは他の作品ばかりで『un homme et une femme』(原題も同じだとフランス人から教えてもらった)は見当たらない。アラン・ドロンのコーナーでも『太陽がいっぱい』はない。結局『サムライ』と『地下室のメロディ』を買ったのだった。

ちなみに日本に住んでいたことのあるフランス人は、アラン・ドロンの作品では『太陽がいっぱい』がフランスではけっして代表作とされていないのに、どうして日本人はあんなに好きなのか不思議だと言っていた。

フランスに来て一年目に観た日本映画は『たそがれ清兵衛』『タケシズ』『風の谷のナウシカ』だ。特に『風の谷のナウシカ』はフランス人の観客でいっぱいであった。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。