2006年

ランドネー

十二月も近づき、街には電飾など飾りつけが準備され、スーパーのチラシもクリスマスプレゼント特集が続いていて、クリスマスムードが盛り上がりつつある。

だが、音楽大好きの私にとっては、夏が過ぎ野外のコンサートなどがめっきり減ってしまい、仕方なく休日はハイキングを始めた。

フランスでは日本のように全国的にどこでも山が広がっているわけではない。アルプスやピレネーなどの地方とは違い、ここブルターニュ地方は周囲を見渡してもゆるやかにうねる丘はあってもまず山らしきものは見えない。従って山歩きが一般的になる環境ではないが、‟Randonnée(ランドネー)”と呼ばれるハイキングは結構人気のあるスポーツのようだ。書店でガイドブックを買い、休日にコースを選んで歩いている。

ガイドブックはフランス語だが、地図がついていて何とか見当がつく。レンヌ市はイル・エ・ヴィレーヌ県に属しているが(それをさらに拡大するとブルターニュ地方ということになる)、私が買ったのは「イル・エ・ヴィレーヌ県ハイキングガイド」というようなもので、四十四のコースが紹介されている。これまで六コースを歩いた。だいたい二、三時間のコースで、歩いたのは主として海岸沿いに設けられているコースだ。

日曜日、朝食後洗濯、アイロンかけを終えると、朝食で半分残ったバゲット(日本ではフランスパン)に包丁で切れ目を入れ、そこに魚のすり身のペーストのようなものを塗り、サンドイッチを作る。そしてバナナ一本とミネラルウォーターを持つと昼食の準備完了である。 

小さなリュックサックに地図とガイドブック、昼食そして帽子を入れ、ハイキングシューズを持って車で海岸まで約一時間走り、適当な場所に駐車して歩き始める。その時点でまあだいたい十二時近くになる。しばらく海沿いのハイキングコースを歩いたあと途中の景色のよいところで昼食をとる。目の前には英仏海峡が広がっている。青みがかった緑色の海、眼下の岩場には白いしぶきを立てて打ち寄せる波、白い帆を風に膨らませて走るヨット。天気のよい日は素晴らしい景色である。

夏のバカンスシーズンが過ぎると、歩く人もまばらである。九月中旬のある日曜日、グロワン岬という、遠くモン・サン・ミッシェルも見える岬の近くを歩いていたときのことだ。そのコースはいくつかの岬をめぐりながら海沿いを歩くものであったが、ある岬をぐるっと回ると海水浴ができる砂浜があった。とても天気がよい日だったので、ゆく夏を惜しむ海水浴客もいた。何気なく見ると、何とトップレスの女性が二人砂浜に寝転んでいるではないか。思わずハイキングの足が止まり、じっと見てしまった。 

周囲にはほかにも海水浴客がいて、ビーチバレーをしている若者もいたが、彼らはトップレスの女性たちを全く気にかける様子もなく、ただ一人、私だけが見とれているというふうであった。う〜ん、こんな光景は珍しくないというわけか……。

あまりじっと見るのも気が引けて、少し残念だと思いつつ再び歩き始めた。歩いている途中、名残惜しく何度も振り返りながら、きっとフランスの長く暗い冬を過ごすと少しでも多く身体に太陽を浴びたいと思うのだろうなあ、彼女たちはできれば水着を全部とってしまいたいとまで思っているに違いない……などと考えていた。

しばらく歩き、次の岬を回って隣の砂浜に出てみると、今度は泳いでいた男が海からあがり、全裸で砂浜を歩いてくる。えっ? ほんとかよ。男の裸を見たってしょうがないやと思いながらふと男の歩いて行く先に目をやると、何と女性が一糸まとわぬ姿で寝そべっているではないか。この光景には思わず口をあんぐり……。でも、ここまでされると何か見ているほうが恥ずかしくなり、そそくさとハイキングに戻ったのだった。

ということで、この日は二重の意味で景色が素晴らしかった。あまりにびっくりしたので、翌日会社に行って、フランス人にこの話をすると、「うん、海水浴場の一部分がヌーディストビーチになっているところがあるよ。別に仕切りのロープもなにも張ってないけど、暗黙の了解で他の海水浴客とは行き来しないようになっているのさ」とのことだ。「日本だったらきっと警察につかまるに違いない」と言うと、「フランスでも街中を裸で歩いたら警察につかまるけど、海岸では大丈夫だよ」との答え。

人事部の女性陣にもその話をすると、皆、「うん、知っているよ」とのこと。だが、実際にそうしたことがあるかと聞いてみたら、皆一様に「私はしたことがない」という返事だった。

走れ唐揚げ!サン・マロの灯はまだか

十二月も半ばになり、街はすっかりクリスマスムードである。レンヌ市内も商店のある通りという通りは、イルミネーションで飾られ、夜になるととてもファンタスティックである。クリスマス市ではツリー用のもみの木を売る臨時の店が出ている。値段を見ると、小さな木で四十ユーロ。あるフランス人によると本物の木だと葉が落ちて、掃除が大変なので、プラスチックのもので代用するとのこと、この辺は日本の門松も同様ではないか。

そんなある日、社長秘書のマキさんから「峯岸さん、今年はお寿司をどうしますか?」と聞かれ、「え? 寿司を用意するの?」と思わず聞き返すと、「ええ、何人もの日本人社員から今年もお寿司があるんでしょうね、と聞かれるんです。もうそろそろ頼まないと間にあいません」という答え。「そうですか、そんなに皆期待しているんですか。予算大丈夫かなあ、でも頼みましょう」。

毎年恒例となっている会社のクリスマスパーティの準備の話である。社員にとって毎年のクリスマスパーティは一大イベントなのである。福利厚生は企業委員会(日本の労働組合代表のようなもの)が運営を担当するのだが、この“寿司”と“とりの唐揚げ”に限っては日本人が担当するとのこと。

何せ、レンヌ市内には日本食レストランと言えるのは唯一「藤」という店しかなく(他に「さくら」という店があるが、これは日本食もどき)、フランス人社員はあまり行かないので、日本人が頼んで持ってくるしかない。去年は誰も運ぶ人がいなくてタクシーを頼んだとのこと。でも、タクシーの運転手から寿司の臭いが残るのでもういやだと言われたとか。「わかりました。当日私が運びましょう」「では峯岸さん、申し込みますよ。いいですね?」と念を押されてしまった。そのくらい寿司は高価なのだ。

クリスマスパーティは会社から高速道路で四十分くらいのサン・マロの会場を借り切って行われた。今年は十二月九日の土曜日である。

当日の午後五時、私は「藤」で寿司五十本(にぎりはなく巻き寿司のみ)と唐揚げ五皿を受け取り、車の後部座席を倒してフラットにした上に広げて乗せ(「藤」の人から、唐揚げは重ねても大丈夫ですが、お寿司は重ねないでくださいと言われた)、一路サン・マロに向かった。国道の制限速度は百十キロ。寿司と唐揚げを乗せた我がルノー・メガーヌ・ワゴンは日の暮れかかる北へ向かって、N137という道路を百二十キロで快調に飛ばす。

中森明菜のCDを大音量でかけながら、サン・マロの灯りを目指していると、途中からにわかに雨が降り出した。ブルターニュ地方ではよくあることで、変わりやすいこの天気をブルターニュ・ウエザーという。暗くなりかけた空の下、サン・マロの辺りではなんと稲光が走っている。“冬の稲妻”だ(昔そんな歌があった)。前途に不安がよぎる。

案の定、サン・マロの街に着いてから道に迷ってしまい、すっかり暗くなってしまった上に篠突く雨である。さあ、さっぱり方角がわからず、途方に暮れてしまった。土砂降りの雨の中、道行く人も見当たらず、道を尋ねようもない。車を止めて、後ろの荷台を見ると、何と重ねてはいけない唐揚げパックが寿司パックの上に重なってしまっているではないか。道に迷って何度もロータリーを回ったので、唐揚げのパックがくずれてしまったのだ。

ああ、冷たい寿司の上に温かい唐揚げが乗ってしまった! これまで、寿司を温めてはいけないと思い、この冬のさなかに冷房まで入れて運転してきたのに、なんてことだ! でもいまはそれどころではない、早く道を探さなくては。あっ、オートバイだ。ひょっとしてあの後をついて行けばと急いで後を追うと、ようやくサン・マロ港の標識を見つけた。

それでなんとかパーティ会場にたどりつくことができた。ほっ……。普通ならレンヌから四十分もあれば着くのに一時間半もかかってしまった。寿司が温まってしまったのではないかって? そんなのは気にしていられないほどあわてたのだ。

パーティ会場では、そんな私の苦労を知ってか知らずか、企業委員会の人たちが準備に大わらわだ。「ミネギシさん、あとは私たちが運ぶから、車のキーを貸して。ミネギシさんはあっちで休んでいていいよ」そう言って、皆が雨のなか、寿司と唐揚げを運んでくれた。

パーティが始まったのは夜の八時すぎ。五百五十人もの社員とその家族が集まり、フルコースの料理の合間に出された、私の運んだ寿司と唐揚げはフランス人にも大人気で、瞬く間に無くなってしまった。

パーティは延々と続き、中近東風の音楽とダンス、へび使い、体に針を刺すパフォーマンスなど盛りだくさん。夜十一時を過ぎると会場は大ディスコ大会と化し、フランス人に誘われて、私も大いにフィーバーしたのであった。でもデザートが出てきたのが夜の十二時、コーヒーはまだだ。すっかり踊り疲れた私は、コーヒーを待ちきれず、皆に挨拶をし、深夜のホテルに向かったのが夜の一時。結局パーティが終わったのは何時だったのだろう。

クリスマス休暇

明日からクリスマスホリデーである。いつもはボン・ソワ(英語ではグッド・イーブニングか)、ア・ドゥマン(またあした)というのが帰りの挨拶だが、きょうは皆、ボン・ノエル(よいクリスマスを)と言って帰って行った。

新年は四日が始業である。これは日系企業だからである。フランスの多くの会社は二日から仕事を始めるようだ。日本人にとってはせめて正月三が日は休むのが普通なので、私の会社もあえてそうしている。二〇〇七年は四日が金曜日なので、一日出勤するとすぐ休みになる。

フランス人の社員は「効率が悪いから三日から出勤にしたらどうか」と言うが、特に一時帰国して日本で正月を過ごす日本人にとっては三日出勤となると二日の成田発の便に乗らなくてはならない。群馬からは二日の早朝家を出ればかろうじて間に合うが、それより遠くの人は前の日、つまり一日に成田に入っていなくてはならないから正月も落ち着かない。結局、四日始業とすることにしたのだった。

フランス人からは「日本人だけはもっと遅い日から出勤していいよ、私たちフランス人だけでも仕事ができるから二日始業でいいんじゃない?」と言われるが、日本人の感覚では「皆そろって仕事初めをすることに意味があるんだ」ということになる。

これはフランス人には理解できないようだ。今日の終業時にも何の特別な集まりもない。普通の日と変わらず、終業時間になると三々五々帰って行く。ここでも日本人の感覚では、夕礼として集まって「今年もお世話になりました。来年がよい年でありますように」と挨拶したくなる。新年も特別朝礼があるわけではない。う〜ん、何ともしまりがない……。

そういえば、日本では恒例の得意先への年末年始の挨拶もない。従って、挨拶のときに持参する会社のカレンダーや手帳を配ることもなく、年末に得意先からもらった翌年のカレンダーが山のようになり、社員が好きなのを家に持って帰るという光景も見られない。かろうじて取引先の日系企業からもらうカレンダーがわずかばかりあるだけである。他のフランス企業の取引先からのカレンダーもあるにはあるがごくわずかである。

この時期見られる日本と違う光景は、クリスマスが近づくと、会社の社員食堂に特別なデザートのメニューが供されることである。とてもおしゃれに盛り付けされていて、つい手が出てしまう。そして職場に手作りのケーキが置かれ、誰でも食べられる。手作りケーキではなくても、買ってきたチョコレートなどが置かれる。

いつものように、私の管轄である総務人事部、財務経理部、経営企画室を回ると、それぞれの部署で「ミネギシさん、どうぞ食べて」と言われる。最初「え⁉ きょうは誰の誕生日?」と聞くと、「ううん、クリスマスだから」「これ私が作ったケーキ」という答えが返ってきて、各職場でケーキまたはチョコレートを食べることになる。

それが約一週間続く。代わる代わるケーキを作ってくる職場もあるから、それぞれの独特な味に舌鼓を打ち、「うん、これはおいしい!」と言いながら回る。各職場でつい食べてしまう。そうした日々が続き、少し体重が増えたような気がするのであった。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。