ここで、少し前に世間の耳目を集めていたSMAPの大ヒット曲を、ふと思い出した。『世界に一つだけの花』という曲だ。この曲は、313・2万枚の売上を記録したらしい(オリコン調べ)。私は、その「ナンバーワンになれなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞に、アメリカが主導するイラク戦争を、日米豪は支持するものの独仏露は反対するなど、世界の大国が二分化した2003年という時代の空気を感じる。

誤解を恐れずに言えば、そこには、競争から「下りる」人々を慰撫し、努力なくして「流される」人々を抱擁する生ぬるい空気が淀んでいる。現実を直視し、自分の意志で進むべき道を選び取り、一旦選んだからには、その道の「決まり」に従って懸命に努力する。そういう清々しさとは無縁な曲だ。

先進国の中でも、特に複線型の社会意識が強いとされるドイツでも、一旦職人の世界に入れば修業は厳しい。一人だけ、オンリーワンな扱いなどしてくれない。

勉強ができなくても、スポーツが下手な子でも、「人間的価値」は、勉強ができる、スポーツが上手い子と同じである。この点では、SMAPの指摘は正しい。しかし、人間は社会的動物である。この「人間的価値」は、そのままでは潜在的な価値に過ぎず、社会に目に見える価値をもたらさない。

そこで、多くの人々は、数多くの「なれるかもしれなかった自分」の中から、通常一つの道を選び、それを極めるべく、一所懸命に努力する。それは、時には「恰好悪い」、「泥臭い」と見える瞬間があるかもしれない。しかし、「努力ができる」という才能を持った優秀な人たちは、例えば、フランスのパティシエの大会で入賞したり、バイオリンの国際大会で優勝したりしているのだ。