2007年

ブルターニュダンス(続き)

だが三番目、また少し難しくなる。今度はリズムにアクセントがつき、アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥルの最後のキャトルで倍速のステップを踏まなければならない。

う〜んこれはなかなか習得できない。最後のステップがドタドタとなりリズムに遅れがちで、全体の輪の動きも乱してしまうのだ。懸命に足を動かす。夢中になっていると暑くなり汗が噴き出す。

ようやく慣れたところで休憩だ。おばちゃんたちから「うまくなったね」と言われ、にんまり。でも結構な運動量である。汗を拭き拭き会社のメンバーと「いや〜、なかなか難しいね。世界大会で皆踊れるかなあ」と心配も。

休憩後、さらにダンスは難しくなる。今度は途中で輪が解けて、男女二人ずつペアになり、向かい合って手を取り合いくるくる回ったり、肩に手を回してスキップして一クールすると次のパートナーに入れ替わるというように輪が動いていく。

中学校の体育のときにやったフォークダンスを思い出す。あこがれの女の子が近づいてくると胸がどきどきしたものだ。ああ、甘酸っぱいものがこみあげて来る。

だがこのダンスはフォークダンスよりはるかに動きが早い上に、運動量も多く、私達はステップを考える間もなく、おばちゃん達のリードに任せるのみ。甘酸っぱさを感じる余裕はない。

結局六種類のダンスを教えてもらった。最後はもうへとへと。飲み物でもどうぞと言われ、ブルターニュ名物のシードル(りんご酒)やジュースでのどを潤した。

時刻は夜の十時を過ぎていた。大変だったけど何か充実感のようなものを感じながら私達は先に失礼することにした。一人ひとり握手して「メルシー、ボン・ウイークエン(ありがとう、よい週末を)」と挨拶。

愛好会のメンバーはこのあとようやく自分達の練習ができるようになって、真夜中まで踊り明かすらしい。何せダンスの種類が百も二百もあるということだ。

素朴で誰でも簡単に参加できる日本の盆踊りを連想してもらえばいいと思うが、素朴さでは似ていても動きの激しさと踊りの種類の多さではその比ではない。

その日以降、家に帰ったあと、アパートで洗濯や料理の最中に、気がつくとひとりアン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥルと言いながらダンスのステップを練習した。

映画『Shall we ダンス?』でも役所広司が会社での仕事中、机に座りながら足が社交ダンスのステップの練習をしているシーンがあった。あれと同じである。

翌々週、世界大会も真近になった金曜日、再度ケブリアックの公民館で練習だ。今度も顔なじみになったおじちゃん、おばちゃんたちが笑顔で迎えてくれた。

この日は前回教わった六つのダンスの復習だったが踊ること二時間、少しはスムースに踊れるようになったと実感できた。

休憩時間、会社のメンバーと顔を突き合わせて「皆で踊るには最も簡単なのと二番目に習ったの、この二つがせいぜいだよね」「うん、それにしよう」と相談したのであった。

大会当日、夜のパーティになるとケブリアックのブルターニュダンス愛好会のおじちゃん、おばちゃんたちが、伝統的なブルターニュ衣装を身に着けてダンスを披露してくれた。

アコーデオンとボンバードという縦笛の奏者が奏でるケルト音楽に乗って、舞台狭しと踊ってくれた。二百人近い参加者からは大きな拍手。最後は舞台から降りて全員が参加するブルターニュダンス大会。

もちろんすでに練習済みの私達プロジェクトメンバーはいの一番に輪に加わって踊った。少しずつ参加者が増え、輪がどんどん大きくなり、ついには隣の部屋とのしきりを取っ払って踊るほどになった。

ダンスは予定どおりの二種類。最後はもう一度簡単で誰でも参加できるダンス。大変な盛り上がりようで、この企画は大成功だった。

終わったあと、おじちゃん、おばちゃんたちと握手。皆うまくいったねという喜びの表情。フランスに来て一年と八ヵ月、初めて地域の人たちと触れ合うことができたと実感できた時だった。

国家と戦争

「人事のイザベルから、募集広告への応募者の中に中国人がいるけど採用してもいいか、ミネギシさんに聞いて欲しいと言われたんですけれど、どうしますか?」

と秘書のジュリエットが聞いてきた。

「なぜそんなことを聞くのかよくわからないけれど」と全く予期していなかった質問に戸惑って聞くと、

「だって日本人は中国人が嫌いじゃないですか」とジュリエットに言われた。

「え?! そうかなあ。確かに国と国同士では日本と中国は決して仲がいいとは言えないけれど、個人対個人ではそんなことないよ。だいいち、採用にあたっては優秀な人材かどうかが問題で、中国人もアフリカ人も関係ないし」

「ええ、まあね……」と流暢な日本語を話すジュリエットは、私のいささか公式的な発言に納得できない様子ながらも引き上げていった。

先日行われた会社の小集団活動の世界大会で、中国からの参加者の名札に中国国旗ではなく日の丸がついていることが渡す直前になってわかり、大あわてで取り替えたという出来事があった。

もし日本国旗がついた名札を中国人に渡してしまっていたら大変なことになるとフランス人も一瞬凍りついたのだった。渡す前に気がついてよかったと皆ほっと胸をなでおろした。

もちろんどんな場合でも国旗を間違えるというのは大きな問題になりかねない重大なミスだが、こと日本人と中国人との間ではとりわけデリケートな問題だとフランス人も感じているようだ。

今回の件だけで一般化するのは危険だが、どうもフランス人の間では日本人と中国人は仲が悪いという認識があるようである。

昨年十二月に経営企画のジャン=フランソワ・クルグラーとポーランドに出張したことがあった。ポーランドに設立した新しいサンデンの工場を訪問して、両者間でサービス提供契約を締結するという目的である。

同じサンデングループなのに会社が別になるとなかなかことがスムースに運ばなくなるというのはよくある話で、直接会って話をしたほうがまとめやすいと判断したのである。

話し合いを月曜日に設定したので、日曜日中にポーランドにある会社の近くのホテルに入ればよいのだが、航空運賃を調べてみるとその前日の土曜日にポーランドに飛んだほうが一泊ホテル代を追加しても遥かに安いことがわかった。

それで土曜日に行こうということになった。そうすると日曜日はフリーになる。

「どう、ワルシャワ観光をしない?」と言うと

「うん、いいね」とジャン=フランソワ。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。