2007年

ブルターニュダンス

十月二十八日より冬時間になった。日本との時差は七時間が八時間となる。朝明るくなる時間が少し早くなったが、日が沈む時間も早くなり、暗いうちに会社に着き、暗くなって退社するという季節の到来である。

日本では秋晴れの時期だが、ブルターニュでは曇りや雨の日が続く。

きょうも冷たい雨が降る天気だった。工場の敷地にある樹木は赤や黄色に紅葉してとてもあざやかだが、それも雨に打たれていた。先週末の土日、ひたすら西へ西へと車を走らせること三時間、フランスの最西端の半島まで行ってきた。

ブルターニュ地方にある四県のひとつフィニスティール県だ。フランス語で「地の果て」を意味する。

曇り空に大西洋から強風が吹きつけ、カメラのシャッターを押す手も風にあおられ静止できないほどであった。眼前には大西洋に落ち込む断崖絶壁が続き、荒波が打ち寄せ砕け散る、典型的なブルターニュの冬の荒涼とした光景が広がっていた。

夏には大勢の観光客が訪れるフランスでも有数のリゾート地だが、いまの季節訪れる人はまばらだ。これから来年の四月頃までモン・サン・ミッシェルを始め、ブルターニュの海沿いの観光地は全く観光に適さない時期になる。

高級な別荘街も窓の扉が固く閉じられたまま、冬眠状態になるのだ。

ブルターニュ地方はフランスの中にあって、ある種独特な存在のようだ。十六世紀に現在のフランス共和国に加わった(併合された?)地域であり、もとは紀元四、五世紀にブリテン島のケルト人がアングロ・サクソン人に追われ、大量に移住した半島だという。

それから彼らをブルトン人、この半島をブルターニュと呼ぶようになったということだ。そして彼らが移住前にいたところを「大ブルターニュ」と呼ぶことにした。英語で「グレイト・ブリテン」フランス語では「グラン・ブルターニュ」、今のイギリスである。

このブルターニュ地方にはケルト文化が脈々と息づいている。

“アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥル(一、二、三、四)、アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥル……”これはフランス語の勉強ではない。会社から車で十分ほどのところにあるQuebriac(ケブリアック)という町にある公民館の一場面である。

会社の世界大会プロジェクトのメンバー七人(フランス人五人、日本人二人)が参加したブルターニュダンスの練習風景だ。この世界大会とは前章で紹介したように、会社が主催する小集団活動の世界大会で、全世界のグループ会社の各地域での予選を勝ち抜いたグループが改善活動のサンデン一を競う大会だ。

大会の後には表彰式とパーティが開かれる。そのパーティに地元のブルターニュダンス愛好会の面々を招待し、ダンスと音楽を披露してもらおうという計画だ。

「アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥル……」とは、単に観客として観るだけでなく、皆がダンスに参加するものにしたいと秘かに企画するプロジェクトメンバーが参加した練習の一場面なのだ。

愛好会の人たちは二十人ほど、比較的高年齢層である。伴奏はカラオケではなくアコーデオン奏者が三人、このアコーデオンもブルターニュ特有のもので、木製の箱は通常のアコーデオンより小さく、またあのじゃばらのような部分を引くときと押すときでは同じキーを押しても音程が異なるというのも特徴だそうだ。

アコーデオンの伴奏が始まった。男女が交互に、手ではなく小指をつなぎ、輪になる。輪の中心には先生役のリーダーが私達のために模範ダンス。

まずは一番簡単なダンスからで、アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥルのリズムに合わせて左足、右足、左足、右足と順に横に動かして行く。これを繰り返しながら輪が時計回りに動いて行く。

さっそくやってみる。両側のおばちゃんはいっしょにアン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥルと言ってくれる。会社のメンバーは足元を見ながら必死にリズムに付いていく。だが足だけでなく手も同時に前後に振らなければならない。

なかなかうまくいかずお互い顔を見合わせて苦笑い。アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥルと口に出しながら何度か繰り返すうちに何とか付いていけるようになった。

「では次のダンス」と再び先生が模範演技。今度は小指ではなく手全体を握って腕に抱えるようにする。足だけで手の振りはないが、アン・ドゥ・トゥルワ・キャトゥル・サンク・シス(一、二、三、四、五、六)とちょっと難しくなる。

ふう〜! でも繰り返すうちにこれも何とかできるようになった。おばちゃんが「セ・ビアン!(いいじゃない)」と言っておだててくれるので「そうかこれでいいのか、何とかなりそうだ」とちょっぴり自信も……。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。