ともあれ、アル中はもともと抜き難い孤独を秘めているという。それは社会的な人間関係からの逃避であるという。孤独は、絶望と罪の意識でもあるだろう。人はこの孤独を安らぎに変えるために酒を飲む。あるいは、より深い孤独を味わうために酒を飲む。酒はそれをも安らぎに変えてくれるだろう。

しかし、やがてそんな安らぎの酒が、苦しみの酒に逆転していく。禁断(酒が切れること)が、神経の緊張(恐れと戦き)をもたらし、それが暗黒の孤独となって現われる。それは幻覚と妄想の狂気ですらあるだろう。

そこで、人はそれを酒を飲むことで、解消しなければならず、そして、あとは飲んでも飲んでも、絶え間なく蘇えってくる禁断の孤独に追い立てられて、ひたすら酒を飲んでは、荒れ狂い、血を流し、死のうとする。

それにしても、孤独を渇望しながら、孤独を解消しようとして飲み続けるとは、何と苦しい矛盾であろうか。この病はこの孤独との闘いなのだ。

この孤独を酒に代わる信仰もしくは実存によって、平安に変えることができなければ、いつでも飲酒する危険があり、そして、飲めば、アル中であるかぎり、死ぬことに行き着く。アル中はそんな孤独の病であり、狂おしい死の渇望なのだ。恐らくは、Tもそんな狂気に飲み込まれて、死んでいったのだろう。

やがて、私もまたTと同じように、施設の収容生活に倦み疲れ、孤独を求めて、施設を出ることになった。施設に来て11年目のことだった。勿論、そうやって手に入れた孤独は、望んだような安らぎではなかった。

私は孤独に伴って現われてきた飲酒欲求と禁断症状に苦しまなければならなかった。私は夜ごと訪れる幻覚のような悪夢に悩まされ、蘇えってくる過去の絶望と罪に苛まれ、逃げ場のない死の恐怖に取り憑かれていった。

そして、ついには独楽鼠のように苛立ち、何も手につかなくなっていった。孤独を欲しながら孤独に苦しんだのだ。いたたまらなさに急かされて祈ったが、苦しみは取れなかった。それでもなおひたすら孤独であろうとし、ひたすら祈り続けるより他になすべきことを知らなかった。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。