第四節 串本(くしもと)

それにしても、関わった人々の多くが、余りにも速く通り過ぎていき、今となっては別れを惜しむことさえ、思い出の中でしかできなくなった。施設の研修旅行で和歌山の南端、串本に海水浴に訪れた時のことも、そんな思い出の一つだった。

施設に入ってまだ四ヶ月も経っていなかった夏の日、私は数十年にわたる飲酒生活の長いトンネルを抜けて、お(とぎ)の国に転がり出たような、不思議な気持ちで串本の風物に巡り会った。視界に広がった海面に照り映える陽の光は眩しくて、私はそんな光景を目を細めて眺めなければならなかった。

浜辺の砂は焼けて、素足が痛かったが、海辺を吹き抜ける風は、爽やかに肌を撫でていった。

想えば、酒を止めてからゴーストタウンを歩いているような日もあった。目ざめて自分がどこにいるのかわからない日もあった。トイレの壁から人の声が聞こえてくる日もあった。あまつさえ、周りの仲間たちが警察のスパイのように思える日もあった。

そんな禁断症状の幻影が足早に過ぎ去っていったあと、正気と狂気の交錯(こうさく)した不思議な世界に生き残った自分がいた。茫漠として霧に包まれた中を、覚束(おぼつか)ない足取りで歩いていることで、自分が障害者であることを思い知らされもした。

ふと覗き込んだ鏡の中に、みすぼらしい廃人の顔を見て、言い知れぬ絶望感に襲われもした。そんな屈辱的な感情が生き残った実感ではあったが、それにもかかわらず、いつともなく平常心に戻れたのは、確かに、他ならぬ仲間たちの中にいたからなのには違いなかった。