出会い

伊藤は「本多さんの研究を私の理論に乗せれば人間の脳そのものをコンピューターで再現できますね」

本多は「まだ研究段階ですから、人間に使ったことはありませんが、私が飼っている愛犬の太郎に試したことがあります」と言うと、

伊藤は相当驚いて「え、犬にこれを試したのですか、それでどうでした」

「それは面白かったですよ、犬がどんな気持ちで散歩したり、与えられた餌が好きか嫌いか、飼い主である私のことをどのように思っているかや、散歩の道で会う雌犬に抱いている気持ちまでわかるんです」と言うと伊藤は犬には言葉がないのになぜか不思議になり、

「犬の意思がなぜわかるのですか」と、疑問を投げかけると、本多が、「人間は自分の思ったことや考えを他人に伝えるために言葉や文字に考えを置き換えて更に文学的な表現をもって感情も伝えるようにしますね。音楽では音を音符を使って伝え、リズムで感情を表現します。美術でも写実とアートがあります。このように人間は自分の考えを他人に理解してもらうように進歩してきましたが、しょせん文字や言葉という媒体を通してしまうと本当のというか真の感情を伝えきることはできません」と説明。

伊藤は「私は、コンピューターの研究から物理と数学の世界だけで生きてきましたから、あまりそのようなことは考えたことはなかったですが、なるほどそうですね」

本多は「わかっていただいて嬉しいです。今言ったように記憶を取り込んでいるのであって言葉を取り込んでいるのではありませんから、コンピューターが脳波を言語に再現してくれる仕組みなんです。脳波だけを感知できればどんな感情でいるのかもわかるんです」

「本多さん、それはすごいですね。まさに記憶の丸ごと複写ですね」

「その通りです。伊藤さん。できます、できます。すごいことですよ」と少し興奮気味に答える。

堀内が「でもこんなことやってもいいのでしょうか」と、口をはさむと、本多は医者としての倫理の不安を感じながら口ごもる。

医者ではない伊藤は、「やっていいことかどうかは政治家や宗教家が決めることです。私たち科学者や医者はできるかどうかを実証しなくては何も始まりません」と、科学者としての理念を優先する。

その言葉に本多も「そうですね、理屈より確証が欲しいですよね」

人間は未知なることに関心を抱くと、ますますその真実を知りたくなる。

伊藤と本多の探究心は際限なく膨らんでいった。

その行ないが良いとか悪いとかではなく、とにかく学者としてやってみたいのである。