涯はインドに行った。コルカタで映画撮影の初歩から学びなおした。貯金も底をつきいよいよ困窮し始めた時、撮影所にパニックが生じた。二人の日本人がえらい勢いで影響を及ぼし始めたのだ。

一人は若い男性で、映画の技術面、特にカラーの改良、特撮技術の向上、カメラレンズの性能アップなどに敏腕をふるい、撮影所の風雲児的存在だった。それが婆須槃頭だった。涯はその男と親しくなり、いつしか監督として映画を指揮する立場となっていった。涯の傍らには常にシナリオライター兼助監督的立場の婆須槃頭がいた。

もう一人の日本人は若い女性だった。婆須槃頭の愛人かと常に噂されるその女性は女優だった。涯はその女性を初めて見たとき戦慄が走った。ムンバイのボリウッド映画で比類なき地位にいるインド映画の宝石、インド映画の至宝と讃歎された女優スリ・デヴィの若かりし頃に実によく似ていたのである。

名前はと聞くと女性ははにかんだように「宮市晴子」だと答えたがすかさず「その名前は過去のものです。今私は蓮台と名乗りたいと思います」大きな瞳を見開いて付け加えた。

「なぜ?」

「私は、仏教徒として尊師から今の法名を賜りました。だから今の私は、宮市蓮台です」

宮市蓮台は、コルカタのインド映画に欠かせない女優となっていった。コルカタのインド女優の中で、彼女ほどミステリアスな雰囲気を醸し出す女優はいなかった。アーリア系インド人の血を四分の一ほど引いていると言われていたが、インド人としても、日本人としても、十分に機能を発揮するその姿態と演技能力は、余人をもって代えがたいと、並みの形容でしか表現できないものだった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『マルト神群』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。