第一章 宇宙開闢かいびゃくの歌

「今度の映画に彼女も出演してくれています。役柄もお知らせいたしましょう」

「監督、その前にお聞きしたいことが。あなたはいつから山野辺雄造から涯鷗州になられたのですか?」

笹野が質問した。

「その質問にお答えしなければなりませんか。わかりました。私は婆須槃頭君にしろ、宮市蓮台嬢にしろ、本人の意思のままに芸名もしくは法名を認めてきました。しかしその私が山野辺雄造のままではさすがにおかしいと思いました。

私もコルカタで監督として活動するからには、インドの人達にもわかりやすい名に変えようと思いました。これは日本を出国した当初から考えていたことでもあります。そこで参考にしたのが日本文学です。

私は若い時分から森鷗外の文学が好きでした。同時期の夏目漱石とよく比較されますが、断然こちらのほうが好きです。漱石は多くの弟子を育成し漱石山脈と呼ばれるほどでしたが、鷗外はその個性が際立っていて孤峰然としているところがよい。例えて言うならば最澄(さいちょう)空海(くうかい)ですな。

二人とも欧州留学の経験がありますが、イギリスでノイローゼに(かか)った漱石よりも、ドイツで堂々と渡り合い、地元の娘を恋に(おちい)らせた鷗外を私は好みます。好きな作品は『即興詩人』と『渋江抽斎』を挙げたい。いずれも私の血潮を高ぶらせた傑作です。

その鷗外の名をもじり、欧州と掛け合わせて作ったのが『涯 鷗州』でした。インドで映画に従事するときはこれを使っています。インドの人たちにも好評のようです」

「なるほど、まぁ言ってみれば変身願望という訳ですね」