老年内科医への道

冲中先生は、六十歳で定年後、虎の門病院の院長に就任されました。

私は命により、その循環器担当の医師となりました。ところが東大医学部に老年病学教室という臨床講座が新設され、初代教授の吉川政己先生が私に助手となることを要請されました。

別に断る理由もないので、昭和四十年にまた東大に戻りました。この臨床科の名称は、老人科でした。教室員は、皆、専門を持った内科医で、何をする科かが問題となりました。

認知症などは診たこともないので、高齢者内科疾患の特徴という点での教育、診療、研究をするという点に落ち着きました。

東大老年病科では、助手から講師、助教授と昇進し、十六年間在籍しました。しかし老人科はこれでよいのかという疑問を常に持っていました。

五十二歳で新設の国立高知医大(現高知大学医学部)老年病科教授に就任しましたが、ここでも循環器病の診療が主体でした。そこで老人の自立支援ということを主眼として、地域検診に取り組みました。

方法は老年医学的総合機能評価法CGA(Comprehensive Geriatric Assessment)です。地域在住高齢者と直接向き合って、はじめて老年医学・医療の本質を知りました。

高知大学には十二年在籍し、六十四歳で東京都老人医療センター(現東京都健康長寿医療センター)の病院長に就任、CGA病棟を全国で初めて病院内に設置し、六十八歳で退官しました。

なお標榜診療科名として厚労省に認知されているのは老年内科です。そこでここでは老年内科に統一しました。

退職してしばらくは老年医療の実践に取り組みましたが、八十五歳以上では自分自身の老化が進行した高齢者となり、予防老年医学すなわち「健康長寿の道」を歩むことになりました。