政経塾で充実した活動ができていると実感することがあっても、家に戻り自分の部屋で少し落ち着くと百合の兄と母親との問答を思い起こし、陰鬱な気分になってしまう。

しかし自分自身でも間違った思い込みを犯してしまうことも往々にしてあると自省してからは、二宮家の二人を批判するようなことはなくなった。

百合と来栖がどのような男女関係にあったのかを、彼女の母親と兄が偏った見方でとらえていたとしても、それはそれで二宮家の末娘への精一杯の愛情の表れだったのだろう。

平穏無事の一日を終えた時など、来栖はむしろ余裕を持って二人の思惑を肯定的にとらえることもできるようになった。自分自身も含めて人はなべて思い込みで他人を判断するものかもしれないと、まさにこれも思い込みかもしれないが、そのような推論から考え直そうとしたのである。

百合が来栖に関心を寄せたきっかけ一つにしても、普通の因果関係では結びつけにくいような理由もあったかもしれない。来栖は社会評論の分野で懸賞論文に応募して賞をもらうところまではいかなかったが、入選を果たしたことがある。その時に彼の知名度が上ったということに求められる、というのも理由としてはあり得る話だ。

百合の『手記』もしくは『遺書』を見せられ、彼女から自分への愛着の気持ちとその芽生えを母親から説明されてみると、彼には確かに納得できるところも少しはあった。