音楽家が抱く人生の悲しみや憂い

当初からはっきりとその独特の個性を印象づけたのは真理だった。友人といえる者は数少ないが、来栖には一時期共によく音楽サロンに出入りしていた古くからの友人がいた。それが葛城だった。真理と知り合うようになる前から、二人は都の区役所に勤めており、葛城はそのまま地道に役所勤めを続けたが、来栖のほうはその後、非正規で半日勤務の嘱託職員となり活動の中心を政経塾のほうに移していった。

葛城に誘われ音楽サロンの定例コンサートに出席した折に真理と知り合った時には、来栖は既に三〇代後半で、真理とは八、九歳の年齢差があると勝手に判断していた。この判断が正しければ彼女は当時まだ三〇代に入ったばかりだったことになる。

結局のところ何らかの形で彼が交渉を持った女性の中で最も振りまわされた相手が真理だった。葛城共々知り合った頃は独身で、来栖には自由奔放に生きているタイプの女性と映った。

そのような印象を受けるところからくるのか、自身と葛城をも含めてエロスの対象として真理の美貌に眼をとめる者がこの「室内楽の集い」のメンバーの中にかなりいるように思えた。すでに初対面の時に来栖たちは出席者の中で男性たちの関心が向けられている中心に真理がいるのをその場の雰囲気ですぐに察した。

彼らの中にはプロからアマチュアまで何人か絵を描く者がいたが、真理と面識ができると彼女の肖像を描きたがったようだ。サロンに出入りしているうちに会員たちが描いた肖像画を何枚か見せてもらったことがある。絵から受ける印象からいうと、来栖にはどの絵にも不満なところがあった。

そうはいっても何かしら具体的に満足できない理由を言えといわれると、具体的には何も言えない。絵が上手とか稚拙だということは別にして、何故か真理の本性を描いているところが乏しいのではないかと理屈抜きに感じ取ってしまう。おそらくは真理に対する思い入れがありすぎるからだ。

彼は気を取り直して冷静に見直すこともやってみた。自分には音楽的素養はあるものの、絵画的もしくは彫塑的なものを理解する能力については欠陥があり、結果としてこの種の表象芸術をありのままに受け入れられないのかとも考えた。

真理の姿形を視覚的にではなく、あまりにも感覚的、情緒的にとらえすぎているのかもしれない。彼女の中身にばかりこだわって、彼女の本質が捉えられていないとの価値判断をしてしまっているとも考えられる。仮定とそれに続く推量は殆ど堂々巡りに近いつながりしかないようだ。