時は遡り、茶色と黒の二匹の大きな犬が、森から飛び出した鹿の後を、風を切って一直線に追う。獲物を追いつめると遠吠えをし、その場に伏せたかと思うと、薮の中から飛んで来た一本の矢が鹿の首を貫ぬき、鹿は、大きな音を発てて倒れた。

 

「やった!」

森の中から歓声が湧き、数人の男達を従える一際美しい若者が現れた。腰に木刀を挿し、手には弓を持っている。

「さすが羅技様!」

羅技は、仲根と呼んでいる男に弓を渡すと、二匹の犬のもとへ歩み寄り、

「よしよし。風神丸、雷神丸」

と、それぞれの犬の頭をなでてやった。

「わし等には羅技様の強弓は弾けぬ!」

鹿の足を縛りながらトビが言うと、すかさずシギが、

「馬鹿を言うな、羅技様にかなう者はこの里にはおらぬわ!」

と答え、二人はセイヤと掛け声で鹿をぶら下げ、羅技を先頭に森を下って行った。

 

すると突然、前方から里人達の悲鳴が響いた。声を聞いて駆け出した二匹の後を、羅技が追う。

「羅技様!」

羅技の剣を抱え持っている重使主と、弓を持つ仲根も、遅れまいとすぐさま追いかける。

鹿を運んでいたトビとシギや槍を持ったツグミとカリは、羅技が山を駆け下りる様を見て驚きの声を上げた。

「ひぇー! 羅技様のあの足の速さといったら、まるで飛んでいるみたいだ……!」

「若様ー!」

重使主と仲根は羅技を追った。

羅技は必死に付いて走る二人を見てニヤリと笑った。

「重使主、仲根。お前達はゆるりと付いて参れ!」

里では、一頭の猪が人々をけちらし、荒れ狂っていた。二匹の犬は里人を守ろうと懸命に猪を威嚇するが、事態は収まる気配を見せない。そこに、息をきらしてやって来た重使主と仲根の両名が、跪いて弓矢を差し出すと、羅技はにっこりとほほ笑み、腰紐に差している木刀をすっと抜いた。

「雷神丸!」

子牛ほどの大きな身体をした黒い犬が低く構えると、羅技はその背を足掛かりにし、「それっ」と、掛け声を上げて猪の真上に高く飛び上がった。頭をめがけて渾身の力で木刀を振り下ろすと、猪はドンと鈍く大きな音を発てて倒れた。

「ツグミ! とどめを入れよ!」

羅技の命令を受け、ツグミが手に持っていた槍でドスッドスッと幾度も刺すと、羅技は槍を取り上げた。

「急所を一突きだけ刺せば良い。幾度も槍を突き立てるではない」

羅技は猪の傍に跪くと手を合わせた。

「何処ぞからこの里に紛れ込んだのであろう……」

里人は、おそるおそる猪に近寄った。横たわる猪の足を縛り、太い木の棒にぶら下げようとしたツグミとカリは、

「う、うわっ。こりゃー重くて下げられん」

と声をそろえた。
「羅技様がこの木刀にて一撃で倒された! お前達は里の者に手伝ってもらって御館様の所へ運んで来い!」

重使主が言うと、

「羅技様は弓や剣にかけて里一番の使い手じゃ! 足の速さもかなう者はいない!」

と仲根も大きくうなずき、周囲を取り囲む人々も口々に賞賛の声をあげた。

「怪我をした者はいるか?」

と、羅技は辺りに居る里人を見回すと、怪我を負った一人の男がいた。

「なんの! これ位の傷は唾をつけておけば治ります!」

「ふむ……。この傷はこのまま放置してはいけぬ。腐れ病となって身体に毒が回り、高熱にうなされ、その足を切り落とさねばならぬやも……。いや、その前に、死ぬかもしれぬぞ。我が持っている傷薬をしんぜよう!」

男は驚きのあまり顔が真っ青になり、がたがたと震え出した。羅技は懐から小さな袋を出すと、中から膏薬が入って居る蛤を手渡した。

「大丈夫だ! この蛤の中には姉上が作りし傷によく効く塗り薬が入っている。まず、きれいな水で傷を洗い、塗ると良い!」

「巫女姫様が自ら御作りになったお薬を下されるとは……恐れ多い事でございます」

「この龍神守(たつもり)の里に住む人々を守るのが、我の使命である! 薬が足らねば我が屋敷に取りに来なさい。その傷……大小に拘らずたかが傷だ等と侮ってはならぬ」

両肩を優しく撫でてやると、側にいる男の妻に優しくほほ笑んだ。

「館に帰ろう。御父上様が我の獲物を待ちわびておられよう!」

羅技は里人達に猪を屋敷に持って来る様に頼み、眼下に見える館に向けて山を下って行った。

「羅技様は我等の守り神でいらっしゃる!」

「いや、あのお優しいお顔はまるで女神様の様だ」

「女神? 羅技様は男の子だぞ。それに次期御当主様になられる御方じゃ。失礼な事を言うと叱られる」

里人達は皆、羅技の背に向けて手を合わせ、羅技のその美しい容姿には龍神様が宿っているのだと口々に言った。