ああ、高枝切りバサミ!

この高枝切りバサミは、昔々、ご近所の方に「御殿」と呼ばれていた家に私たち家族が暮らしていた時、重宝したものだ。

もちろん、庭木は定期的に庭師が手入れしていたけれど、庭の奥に大きな柿の木があって、その柿がたわわになった時は、父自らこれを使って、あの実がいい、この実がいいと我がままを言う私たち姉妹の言うまま、機嫌よく柿の実を取ってくれたものだ。

まるで夢のようだ。

あの栄華もほんとうに私の人生の一部なんだろうか?

没落して両親が亡くなり、あの家を売り払ってここに越してからずっと存在すら忘れていた高枝切りバサミが、今。

見事に男の腹に突き刺さった。

男は不思議そうに自分のお腹を眺めてから、ゆっくり仰向けに倒れた。

私たちは寄っていって倒れた男を見下ろした。

男は目を剥いて絶命していた。

妹は黙って高枝切りバサミを男のお腹から引き抜いた。

傷口が開いてコンコンと泉のように血が湧き出ている。

生命の神秘だわ、と私は思った。

妹はひざまずくと、男の傷口に手を差し込んだ。

「なにするのよ?」

驚いて尋ねると、

妹は顔色一つ変えずに答えた。

「ものの本に書いてあったのよ。人の血はあかぎれに効くって。だから試してみようと思って」

そう言って、妹は血の中にズブズブと手首まで浸して、

「ああ、あったかい」

とため息をついた。

たまらず傷口を押し広げて私も血の中に手を浸す。

あまりの心地よさに、うう、と声が洩れた。

姉妹揃ってこうして暖をとれるなんて久しぶり。

それからは、私たちはあかぎれと空腹に悩まされなくなった。

男の財布にはいくらかお金も入っていた。

久しぶりに流しの下に仕舞っていたカセットコンロを取り出し、コンビニまでカセットボンベを買いに出掛けた。

気づけば、来訪者というものはそこそこいる。

古いマンションだから、いまだにオートロックでないのがよかった。

宗教の勧誘、新聞の営業、国営テレビの集金、民生委員、さまざまな人がやってくる。

以前はおっくうで居留守を使っていたが、今では二人してにこやかに招き入れる。

思わぬ歓迎に当惑する彼らをリビングのソファに座らせ、お茶を勧めて、そのあとの段取りも随分手際がよくなった。

妹も最近では随分体の調子がいいようだ。

このまま治ってくれれば、と祈るような思いだ。

もしも来訪者が途絶えてしまったら、その時はぐずぐずせずに私は夕闇にまぎれて街角に立とうと思っている。

背後に高枝切りバサミを隠して。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『苦楽園詩集「福笑い」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。