また別の時に、シャンプーをしながら奥さんは言った。

ちなみにここの理髪店は昔ながらの客をうつ伏せにするタイプのシャンプー台だ。で、奥さんはシャンプーしながら、多分私の首の後ろを見ながら言った。

「でもお客さん、これ、便利ですねえ」

これとはなにか。どうやら私の首の後ろにある大きなイボのことらしい。

「これがあれば、水死体になっても、お客さんだってすぐわかる」

そして奥さんはいつものように高らかに笑った。私は奥さんの頭の中で水死体になって浮いているのだ。

愕然とした。どうして奥さんは私を水死体にすることを思いついたのだろう。奥さんと私の間に悪意が生まれるような深い関係はない。いや、悪意は深い関わりがないからこそ立ち上がるものなのか。

もしかしたら、襟足を整える時に、毎回このイボを邪魔だと思っていたのかもしれない。いっそ切り取ってしまいたいと思っていたかもしれない。

それにしてもイボに罪はないし、あったとしてもその罪のために溺れ死ぬのはご免蒙りたい。それにしてもなぜ奥さんは笑うのか。

多分、縁起でもない話の数々は、長い時間をかけて奥さんが編み出したサービスなのだ。まだこの路地に活気があって賑やかだったころ、お客は奥さんの話を面白がってくれたのだ。特に縁起でもない話を。

だから彼女はお客のリクエストにお応えして、とっておきの話を披露するのだ。無口な夫にはできない、彼女だけの自慢のサービス。それは彼女の悪意というより、さまざまなお客の悪意の吹き溜まりといえるだろう。

そして彼女は自分の完璧なサービスに満足して高らかに笑うのだ。そして私も、知らず知らず彼女の話を楽しんでいたのではなかったか。

ところで今、私は奥さんの予言通り人知れぬ沼にうつ伏せになって浮いている。首の後ろには目印のイボもちゃんとある。奥さんの予言通りだとすれば、誰か通りかかってくれさえすれば、そのイボを見て、それが私だとその誰かは気付いてくれるはずである。

しかし、誰も通りかからない。私は知っている。この沼は今は潰れてしまった理髪店の裏にひっそりと隠れているのだ。

奥さん、どうか裏口を開けて私を見つけて下さい。

「私はこの人を知っています。なぜならこのイボに見覚えがあるからです」

と証言して下さい。こうして私はあなたの格好の話の種になったのだから。