父親失格

それからのことは、あまり覚えてない。人間はつらい記憶に蓋をして閉じ込める習性がある。まさにわたしの記憶が欠落していることも、そういう理屈なのだろう。

多くの友達の涙で見送られた陽菜の葬儀が終わり、わたしたち夫婦は悲しみの淵で身動きできなかった。けれどもわたしたち夫婦には、なすべきことがあった。言葉にはしなかったが、たがいの想いをはっきりと感じとっていた。

その日が来ると、わたしたちは最低限の荷物だけを持って自家用車に乗りこんだ。バックミラーになにも映らない後部座席がひどく虚しい。妻は陽菜の遺影を鞄に忍ばせ、アクセルを踏むわたしの太腿に手を添えていた。走り出してしまえば迷いはなかった。これで良いんだ。そう自分に言い聞かせる。

フロントガラス越しの視界はひどく悪い。雨が降っているのか。ワイパーで拭いてもまったく改善しなかった。ああ、そうか。わたしはすべてを悟った。わたしは泣いていたのか。どれだけの意志を動員しても、溢れ出る涙を止めることはできなかった。それは多恵もおなじだった。わたしたちの頭上には分厚く黒い雲がどこまでもどこまで立ちこめて、光は永遠に差さない。

思い出せる陽菜の温もりも、いつかは遠くなり、消えてしまう。そのまえに。どうしても陽菜に、見せてあげたいものがあった。

「わぁ、すごいね。パパ、ママ」

「こらこら、はしゃぎすぎるなよ」

わたしたちの隣では、幸福を絵に描いたような家族がはしゃいでいた。ちいさい女の子たちは、パレードの主役たちに向けて腕をぶんぶん振り回している。その女の子を見守る両親の眼は、どこまでも穏やかで優しい。ほんのすこしまえまで、自分たちも彼らとおなじしあわせの住人でいられたはずなのに。

「綺麗ね」

「ああ。そうだな」

わたしと多恵と陽菜は、魔法の国のパレードを眺めていた。唯一違うのは、陽菜がもう、写真のなかでしか笑わないということだ。

「ああ、見て。妖精さんたち」

「可愛い」

「キレイ」

子供たちの声が、パレードに一夜限りの魔法を掛ける。なあ、陽菜。見ているか。魔法の国は実在したぞ。みんなとびきりの笑顔で、食べる料理も全部美味しいんだ。パレードだって毎日行われているよ。お姫様や王子様とだって写真を撮れる。眼に見えるものすべてが、まるで宝石みたいに輝いているんだ。

わたしは遺影を持った多恵に眼をやった。多恵はパレードを凝視している。その細めた目尻からは、パレードの光をプリズムのように反射する涙がこぼれ、ぎゅっと結ばれた口元まで流れていく。多恵があまりに(はかな)げで壊れてしまいそうで、わたしは彼女を強く抱きしめた。

多恵はそれでもパレードから眼を離さない。まるで失ったなにかを探しているように。

「陽菜ちゃん。ごめんね。ママとパパを赦してね」

「もういい、もういいんだ」

わたしは多恵と彼女が持つ陽菜の遺影を抱きかかえながら、いつまでもいつまでも、パレードの魔法が解けないことを願っていた。