新たな挑戦のために今できること

平成の時代には、日本でも猫の手も借りたいほどに人手不足の問題が深刻化していた。政府は対策として、高齢者・女性の社会進出を進め、労働環境を整えてきたが、限界があり、外国人技能実習制度をフル活用してきた。しかし、技能を習得するための制度であるため、企業が求める労働力として活用するにはズレが生じていた。企業はその職種各々が求めるスキルの高い即戦力を求めたのである。

その後、政府は特定技能制度を導入し、外国人雇用の推進を行うに至った。日本は潜在的に労働力人口が少ない。そして、その人口は毎年減少していく。一方で高齢者人口は激増し、超高齢者社会となり、年金医療福祉(介護等)の財源の確保に逼迫している。財政が非常に厳しいことは財務省の資料を見て取れる。

つまり、国は国益を失うことなく、日本国民の生命と財産を守るため外国人労働者の手を借りようと決断したと考える。スキルのある外国人に働いてもらうことにより、GDPは上昇する。給与の中から社会保険料は例外なく徴収し、5年が過ぎれば脱退一時金の負担はあるものの、保険料収益の方が多いと企てたのであろう。

これは、年金医療福祉財源の増額に繋がり、財政負担も縮小していく。外国人労働者にとっても、制度が整った国で働く安心と安全が確保されて有意であると考える。まさに三方良しである。

令和2年(2020年)は新型コロナウイルス一色で経済は停滞し、世界の尊い命が多く失われた。日本ではインバウンドにより支えられてきた交通運輸業や観光サービス業、飲食業、広告宣伝業などの企業が軒並み危急の倒産危機に瀕している。働く人々は休業や失業に追いやられている。この失われた1年が人間の思想や経済環境にもたらす新しい世界の様相はいまだ未知である。

しかし、新型コロナウイルスの蔓延がいつまでも続かないことだけは確かである。生物は常に適合し、弱者を飲み込んでいく弱肉強食の世界だ。人間も同様であり、コロナウイルスに適合した人々は、既に多く存在するのではないだろうか。コロナウイルスを打破したとき、停滞した経済も「人の動きや、お金の動き、物の動き」は回復する。

日本では、これらの動きが回復したときに対応ができるのであろうか。もう少しミクロに考えると、企業や従業員は、回復したときの「人の動き、お金の動き、情報の動き」に対処できるのであろうか。もちろん準備している企業や従業員が成すことは言うまでもない。