「うそ」と「うそ」の交差点

光源氏が亡くなった後、薫が冷泉院(退位された冷泉帝)からどのように扱われているかについて、物語は、次のように述べる。

「光源氏が、生前、冷泉院に薫のことをお願いしておいたので、冷泉院は、薫をとても大切に扱ってくださる。秋好中宮も、皇子たちがおられず心細く思われて、喜んで薫の後見をなさり、薫を頼りにしておられる」

この記事は、何気なく読んでいると、読み流してしまいそうになるが、心を研ぎ澄まして読み返したい。薫は、女三の宮が柏木(故人)と密通して生まれた子であるが、表向きは光源氏の子である。光源氏は、当然、薫が自分の実子でないことを知っているが、薫自身は、そういうことをはっきりとは知らない。冷泉院と秋好中宮も、薫が光源氏の実の子だと思っておられる。

冷泉院は、光源氏と藤壺との密通によって生まれた人であるが、表向きは、桐壺帝の皇子である。冷泉院は、夜居の僧から事情を聞いて、一応、その旨をご存知であるが、光源氏は、事の真相を冷泉院に明かそうとしなかった。冷泉院は、それゆえに、長年にわたって悩んでこられた。

薫をよろしくお願いしたい旨を、光源氏から頼まれたとき、冷泉院は、うれしく思われただろう。というのは、臣下たる人物(光源氏)が自分の子の世話を上皇に依頼することは、普通、あり得ないことである。しかるに、光源氏がそのようなことを頼んできたということは、光源氏が自分(冷泉院)の実父であることを告白しているに等しいと考えられるからである。

そこで、冷泉院は、自分の弟に当たる(と冷泉院が思っておられる)薫の面倒を見ようと心を決められたのであった。後文によれば、冷泉院は、自邸の対屋たいのやに薫の居室を与えられたうえ、冷泉院自ら指図して、若い女房その他の人々を選別されるなど、薫の住み心地がよいように、万事に心配りをなさる。

薫の立場から見ると、冷泉帝がなぜ自分にこれほどやさしく、親切にしてくださるのか、不思議でならなかっただろう。冷泉帝の実父は光源氏であることを、薫は知らないから、いくら考えても、納得することのできる答えを得ることはできないに違いない。

中宮は、六条院の南西の町を里邸としておられるから、中宮のご意向によるのかとも思うが、自分(薫)と中宮とは、これまで馴れ親しむ関係にあったわけではないから、これも違うように思われる。このような誤解や不思議でならない事態が生じたのは、光源氏が真相を語らないことに、すべての原因がある。

この項の冒頭に掲げた物語の記事には、「うそ」を巧みに操作する光源氏という人物の姿が端的に示されている。