浮舟

浮舟は、母君(中将の君)から、八の宮(桐壺帝の第八皇子)のご落胤であると繰り返し聞かされて育ったが、八の宮は浮舟をわが子として認めようとしない。浮舟の現実の境遇は、常陸介の北の方の連れ子でしかない。

常陸介から何かにつけて分け隔てされ、肩身の狭い思いで生きていくしかない。このような生い立ちが浮舟の人格形成に大きく影響しただろう。浮舟は、外見上、すなおで、おおらか過ぎるくらいの人柄に見えた。

しかし、後に女房が語るところによると、「不思議なほど言葉数が少なく、茫洋ぼうようとしてつかみどころのない感じの人でした。苦しいことがあっても、口に出して言われることもなく、胸の中に納めておられるようで、あのような思い切ったこと(宇治川に身投げをすること)を考えておられたとは、夢にも思いませんでした」とのことである。

言葉を換えて言えば、浮舟は、まわりの人の言葉や態度を注意深く見据え、納得できるまで胸の中で繰り返し反芻はんすうして、その言葉や態度がどういう意味であるのかを見極め、そのうえで自分の態度を決めるというタイプの人であったのだろう。その場合、自分からはほとんど何も発信しないから、まわりの人は、浮舟が物事をつきつめて考えていることに気がつかない。

浮舟は、八の宮から子として認めてもらえない。常陸介からは分け隔てされる。左近少将との縁談は、浮舟が常陸介の実の娘ではないことが理由で破談となった。母君は、浮舟と母君自身のプライドを傷つけることはできないと考え、浮舟を、匂宮におうのみやの妻となっている中の君(八の宮の次女で、浮舟の異母姉)に託した。

これをきっかけに、浮舟は、薫と匂宮の二人の貴公子から言い寄られる立場に立たされることになった。

浮舟を大君おおいぎみ(八の宮の長女で、浮舟の異母姉)の形代かたしろとしてしか扱ってくれない薫。大君の形代としてでもよいから薫に縁づけて、常陸介や左近少将を見返してやりたいと考える母君。

いつの間にか匂宮に惹かれてしまった自分(浮舟)。

このまま突き進むと、匂宮を挟んで、自分と中の君が争うことになる修羅場。

これまでそれなりに面倒を見てくれた薫を裏切った自分。

薫と匂宮の間でやがて起きることになる熾烈しれつな争い。

どうかして高貴な人と結び付けて自分たちの暮らし向きをよくしようとする女房たち。

浮舟は、必死になって思いめぐらすが、これらをうまく解決する方策を発見することができない。最もよい解決策は自分自身を消すことだと気がついたとき、浮舟は胸のつかえがおりる思いがしただろう。浮舟は、宇治川に身投げをしようとしたが、横川の僧都に助けられた。浮舟は、死ぬことができなかったが、これまで浮舟を取り巻いていた人間関係から脱出することができた。

しかし、そう思ったのは束の間のこと、浮舟の面倒をみてくれる横川の僧都の妹尼君は、亡き娘の夫であった中将と浮舟とを結びつけようとする。かつて母君や女房たちがしようとしたこととまるで同じである。このままでは、再び複雑な人間模様に組み込まれてしまう。

頼れるのは横川の僧都だけである。僧都に泣いてすがって、浮舟は、出家することができた。これでもう誰も手出しをすることができないと、浮舟は思った。そこへ現れたのが、薫と浮舟の弟の子君こぎみ。僧都は、浮舟が右大将という高い立場にある薫の思われ人であることに驚いて、いとも簡単に還俗を勧める始末である。

浮舟は、あらためて覚った。世の高僧とうたわれる僧都にも頼ることができないのだから、頼れるのは自分自身だけである。母君をも切り捨てて、自分の意志で、自分の生きる道を歩んでいく以外にない。それが、これからの自分の生きる道である。

かくして、浮舟の物語は終わり、『源氏物語』は終わった。