朝から夕方まで1日8時間の労働であり、昼休憩に弁当を食べた後、みんなで昼寝をする習慣となっていた。作業着の汗が乾くとグラインダーで飛び散った鉄粉が赤く染まり、それが午後からの仕事の始まりの合図だった。

仕事が終わるとそこには風呂が用意されていたため、毎日着替えを持っていき、友人と2人で入った。仕事終わりの風呂がなんて気持ちの良いものかと感動したことを覚えている。

鋳物屋での仕事は、主に肉体労働だったため、体が悲鳴を上げる日もあったが、より良い経験をする機会を与えてもらった。

経営者や従業員の方たちには、安全面やその管理、従業員の調和の必要性など、仕事を繰り返し行うことによって教示いただいた。給与面でも、1か月で8万円から9万円程度の給与を得ることができた。

その後、私と友人は稼いだ金額を元手に九州旅行に出かけた。

大阪南港から宮崎・指宿・鹿児島へ旅ができる喜びを感じた。

当時、友人と「経済的に厳しいのであれば、資格を取り、それを生活の糧にしよう」と考え、その後、税理士試験を目指し始めた。

税理士試験は簿記検定試験2級の合格、そして1級を合格すれば受験資格が与えられた。社労士資格を目指していたのではないかと疑問を感じた人もいるであろうが、当初は税理士資格の取得を目指していたのである。

簿記検定試験2級は取得できたものの、1級の合格には至らず、受験資格を得られないまま高校を卒業した。卒業後は、会社に就職し、仕事をしながら大学に通う道を選んだ。

同じ頃に、私の背中を押してくれることになる妻と出会った。

この出会いが私の人生を大きく変えることになった。