人生の選択

結婚後にも税理士資格を目指して勉強していたが、ある日、会社の上司から社労士と呼ばれる国家資格があることと、その後に開業している事務所があることを聞いた。

当時は、妻共々会社員として就業していたが、2人で働いてやっと生活できるほど生活は苦しかったため、生活の糧となる資格であれば、取得しても損にはならないと思い、挑戦することにした。軽い気持ちで始めた資格取得の勉強だったが、この勉強がなんと難しいことか……。

聞いたことも無い専門用語を前に用語の理解から始めなければならなかった。勉強時間は、早朝と45分間の昼休み、帰宅後を充てて1日約7時間確保したものの、1年目は不合格という結果だった。

もし、2年間勉強しても不合格になったら、「所詮そこまでの実力しかない男だったのだ」と腹をくくり、もう1年頑張ることに決めた。

早朝、勉強をしていると長男がよちよち歩きで起きてきて、騒ぐこともなく、こたつの周りを伝い歩きしていたのを覚えている。幼いながらに父親が勉強をしている姿を見て、応援してくれているのではないかと感じ、より一層頑張ろうと自分を鼓舞した。2年目の勉強は何かに取り憑かれたかのように励み、ほとんどテレビも見なかった。

平成元年4月に長女が生まれた。そして、その年に社労士試験に合格した。26歳の10月のことである。

同年7月の社労士試験はものすごく暑い日だった。試験会場にエアコンの設置は無く、タオルや扇子、飲み物の持ち込みは許されていたが、午前中に1時間半、午後から3時間半という長時間の試験は集中力を削いでいった。受験者で埋まった教室の中をぐるりと見渡し、この中で合格をするのは1人か2人なのだと改めて実感し、絶対に成し遂げてやると自分を奮い立たせた。

試験が終わった時には、試験勉強の終わりと確実に合格したという自信に満ちた満足感でいっぱいだった。私は清々しい気分で家族の待つ家へと向かった。この時の気持ちは今でもしっかりと覚えている。

一方、仕事はどうなっていたかというと、2年間の勉強と並行して、任せてもらえる仕事も増えていた。上司に金融取引について手取り足取り教示いただき、金融機関からの借入れの仕方や小切手・手形の取り扱いなど会計業務を任せてもらえるまでとなっていた。

社労士試験を受験する際、上司や同僚に相談することは無かったが、昼休みも勉強に充てていたため、何か察せられている部分もあろうと思い、社労士試験に合格したことを報告した。上司はおめでとうと喜んでくれたが、その顔色はどうにも冴えなかった。その後、会社の社長には「おめでとう。これからも精進して頑張れ」と喜んでもらうことができた。私はその言葉がとても嬉しかった。