佐藤がディック・ペイント株式会社に移って、会社の実態を調査した結果、経営上いくつかの問題点があるのに気がついた。先ず、関西工場は、地代、工場建物の賃貸料の他機械装置は、全てリース契約のため、償却すべき資産がなく、生産量が減産になったので、キロ当たりの工場経費が上がり、利益を圧迫していた。

海外事業も深刻で、継続的な資金供給を余儀なくされていた。また本来ならば、平成五年以降役員賞与や、株式配当を行える体質になかったにもかかわらず、継続していた。更に、リース契約が負担になったため、平成七年に契約を更新し、リース料を安くするため、機械装置の法定償却年数より長い契約に切り替えた。

ところが、十年以上経過すると、モーターや、部品などが故障し、制御装置などその後の進歩に合わせ更新すると、それらは、新たに償却資産となり、廃棄したモーターや、制御装置に依然としてリース料の支払いを継続しなければならなかった。とりわけ、新社長に課せられた課題は、海外合弁会社の再建で、その中でも今まで誰も手がつけられなかった韓国ディック・ペイント株式会社だった。

佐藤が念入りに会社設立からその後の決算書類、決裁書類、問題点を詳細に調査し、更に、本プロジェクトを当初から推進した前専務取締役で、現監査役の伊藤と、鴻池経理課長を交えて聞いたところ、李社長がとんでもない経営をしているのに驚いた。

この時、佐藤はこれが自分に与えられた克服すべき最も大きな課題だと悟り、解決を心に誓った。佐藤は、事前に今日の会議のために、山本取締役営業本部長、木幡取締役営業副本部長、伊藤ら関係者とともに理事会上程議案を協議し、山田社長の了解を取って会議に臨んだ。

この日、ルネッサンス・ホテルの会議室では、十一月六日開催予定の理事会に上程する議案について事前協議をするため、午後三時の開催時間を少し過ぎた頃、韓国側代表理事社長の() 正真(ジョンジン)と、華やかなピンクのスーツを身に纏った理事副社長の(クオン) 美子(ミジャ) が入室し、今や遅しと、待ち構えていた日本側理事会長の佐藤、現地の高梨代表理事副社長、退任予定の伊藤理事、更に新任理事候補のディック・グループの韓国ディック・ケミカル株式会社の寺岡副社長も、これから始まるであろう李社長への退陣要求を前に一段と緊張を強いられていた。