新会社の設立

佐藤は、その頃、ディックの金属潤滑剤部に所属していたが、当時、国際事業本部長だった柴崎参与が、「私も、サラリーマンを長くしているが、こんな出張報告書を見たのは初めてですよ」と、伊藤の韓国出張報告書をファイルから探し出して見せた。そこには、「李社長は、早稲田大学政経学部政治学科卒で、奥様の権美子は、梨花女子大学を出た才媛です。さすがに倉本社長のお目は高い、合弁の相手として申し分ありません」と書かれていた。

伊藤の出張報告を聞いて、倉本社長は、

「俺の見る目に間違いはないよ。向こうは、素人だから、T油化のような同業者と組むよりやりやすいだろう。早速合弁事業の目論見書を作りなさい。柴崎君に相談し、合弁契約書案も作らなければいけない。得意先の主力は、鉄鋼、自動車メーカーだから、工場立地、土地価格を李さんに調べてもらい、光岡君(注:ディック製造部長)に設備計画を出させなさい。資本金は、一億円でどうだろう?」

「とにかく至急目論見書を作成します」

と、伊藤は答えた。

伊藤が韓国に出張してから一週間後、ディック本社で倉本社長、国際事業本部長柴崎参与、アジア担当部長坂井、海外部長桑田、DP伊藤と共立貿易李正真ら関係者が集まり、合弁会社設立に向けて

社名 韓国ディック・ペイント株式会社、資本金八千万円、出資比率李社長側五一%、日本側四九%、

役員 会長倉本和雄、代表理事李正真、理事権美子、権聖振(クオンスンジン)他日本側二名、監事韓国側、日本側とも各一名、

その他合弁会社設立基本契約、技術援助契約、事業目論見書などが論議された。

この席で李は、「ディックの名は、韓国では信用が高く、自動車三社を含め販売には絶対に自信を持っています。合弁会社は、日本主導で全く異存ありません。日韓合弁のモデルケースになるような会社に育て上げたいと考えています」と胸を張った。

一ヶ月後、伊藤は、目論見書を持って、ソウルの共立貿易を訪れた。目論見書によれば、初年度は赤字になるものの、二年度以降は、倍倍ゲームのように売上高、営業利益が伸びるまさに薔薇色の数字が羅列されていた。

「資本金は、日本円で当初の八千万円ではなく、運転資金もあり、一億円を考えていますが、如何でしょうか。生産規模は、工場用地として、三千五百坪、建屋一八〇坪、年間製造能力二千トンで、初年度三百トン、六億六千万ウォン、二年度六百トン、一三億二千万ウォン、三年度九百トン、一九億八千万ウォン販売する計画です」と伊藤が説明した。

「建屋、設備がそんなに掛かりますか。韓国政府は、韓国側五一%、外資四九%でなければ認可しません。私の手持ち資金の関係もあり、資本金を四億二千万ウォンにしていただけませんか。ちょっと一億円には足りないと思いますが、そうですねー、日本円で約八千八百万円になりましょうか」と言った。(注:当時韓国政府は、すでに外資の出資比率の枠を外しており、これは李がマジョリティーを握るため、故意に日本側を騙したとも考えられる)

「それでいいと思います。とにかく、我々が、全面的に応援しますので、安心して下さい。必ず計画通り行きます」と、伊藤は強調した。