幸せな幼少期と悲惨な少年期

ある晴れた日のこと、私は一人、川で魚を釣っていました。その日の川は、昨晩雨が降ったせいか普段と違い流れが速くなっており、魚は、まだ1匹も釣れていませんでした。もうそろそろ家に帰ろうと思っていた頃、遠くの方からひろちゃんと、ひろちゃんのお母さんの声が聞こえてきました。少しすると、ひろちゃんは、私を見つけ走り寄ってきました。

「彦ちゃーん、何やってるのー」

私の側まで来ると、濡れた草に足を滑らせ「わっ」と叫んだ後、川にザブンと落ちてしまいました。普段は、流れも穏やかで深いところでも腰の上ぐらいだったので、

「ひろちゃん、だいじょうぶ!」と私は、川に飛び込みました。やっとひろちゃんの腕を、捕まえることができました。しかし、川の流れに押し倒され、息ができず水を飲み、二人で足をバタバタさせていました。だいぶ流されたと思った時、足に何かが引っかかりました。体が一回転し、頭に石がガッンとぶつかり、気が遠くなりました。しかし、ひろちゃんの腕だけは離しませんでした。

気が付いた時は、私は川岸で寝ており、近くでお母さんに抱かれたひろちゃんが、「わーん、わーん」と激しく泣いていました。(良かった、ひろちゃんは無事だ)と思ったら、

涙がポロリと出てしまいました。

7歳になり、近くのお寺で読み書きを教えてくれていたので、そこに通うことになりました。今でいう学校です。そこで美濃で勢力が強く実力がある家の息子たちとの付き合いも始まりました。お寺では、私が一番年下で、なぜこのような勉強をしなければいけないか理解できませんでした。また、周りに知り合いの子もいないので、いつもぼーっとしていました。

そのためか、「明智、お前! ぼーっとしてるんじゃない! ここに何しに来ているんだ」と和尚たちに叩かれ叱られ、よく涙を浮かべていたのですが、「泣いても誰も助けてくれない、泣いているだけだったら出ていけ」とさらに叱られました。時には殴られ足蹴にされ、周りからも笑われました。暫くすると、自分は、単にぼーっとしているだけの人間ではないことを自分自身で認識しました。先生の間違えがよくわかってしまうのです。

「先生、昨日と言っていることが違います。昨日は“富是一生財”、今は“人是一生財”と言っていました。どちらが正しいのでしょうか?」

「生意気なことを言うな!」と殴られ蹴られ続けました。

──私の方が正しいことを言っているのに、なぜこの人は、わめき、殴り続けるのか?と理解できませんでした。私は耐え続け、いつか坊主へ復讐してやると心に誓いました。

私は、じっと坊主の顔を見ていると、あることに気づきました。(自信がない顔、自信がある顔、嘘をついている顔、怒っている顔、恥ずかしい時の顔等々を)。私は、それから坊主の前では押し黙り、ずっと顔を見て、怒っている時は視線を外したり、自信のありそうな顔をしている時は興味がありそうに頷いてみせたり、と難を避けるすべを身に付けました。