『軍事同盟』と『現場、現物、現実』

次に淡路島の様子を窺いながら阿波に渡り、三好氏の領国経営は、どんなものかと調べました。私が行った頃は、将軍をも追い落とそうとしていた三好氏の権勢が絶好調の頃です。私自身、将軍を中心とした秩序が必要と考えていたので、三好氏は嫌いでした。また、田畑は荒れ、街の賑わいも少なく感じました。そのため、三好氏の所領での再就職活動はしていません。

その後、美濃の斎藤氏と関係が深い土佐にたどり着いた時のことです。数人に追われ、血を流し必死で走って逃げている青年を見かけました。黙って見ていられず、手に持っていた鉄砲を空に向かって打ち、追っ手を追い払いました。

「私は、美濃出身の明智光秀といいます。なぜ、追われていたのですか? よかったら理由を教えて貰えませんか?」

「助けて頂きありがとうございます。私は長宗我部元親と申します。いつか時期が来たら、攻め込むために、土佐の本山氏の城の様子を探っていたのですが、見つかってしまいました。不注意でした」

彼は、野武士の頭領の息子で、当時18歳の長宗我部元親殿と分かり、会いたいと思っていた国親様の嫡男でした。美濃の斉藤家の娘を母に持っていました。

その晩は、彼の家に泊まることになり、酒を浴びるように飲む元親殿と、いろいろと話をしました。