プロローグ

私は、既に死んでいます。

羽柴秀吉殿との山崎の戦いの後、敗走の途中で百姓に刺されました。死んだのは、天正10(1582)年6月で55歳でした。私は、世に言う本能寺の変で上様を弑逆しました。この本能寺の変自体は、あまりに有名でご存じの方も多いと思います。しかし、私がなぜ、上様を弑逆するに至ったか、その理由は、謎だとされてきました。私が、誰であるか分かりますよね。

今日は、私自身の口から、その真相をお話ししたいと思います。本当の意味で、真実を理解して頂くために、私の性格や何を思い生きてきたかを紐解く必要があり、その生き方や性格に影響を与えたエピソードを中心に、生い立ちから、話を進めて行きたいと思います。

まずは等身大の私を理解してもらう必要があります。この等身大の私の中にこそ、本能寺の変の原因が隠されています。

戦国の世にあって、私は類いまれな能力を持っていたというイメージも皆さんの中にあるように思えるのです。いわゆる神童や天賦の才を持つ男というイメージですね。幼少期から秀でていた私は、斎藤道三様に引き立てられたとか、幼い頃から漢籍にも親しみ仏教にも造詣が深く、長じてからは勇敢だが戦国の荒くれ物とは、一線を画した偉大なる知識人であったとか、いろいろと言われています。

しかし、自分で言うのも何ですが、そのような評価は、こそばゆいもので、私の妻の煕子(ひろこ)にからかわれるのではないかとびくびくものです。

妻の煕子は、私より早く死んでしまいました。そのため、煕子は、本能寺の変については知りません。弑逆者の妻になる前に亡くなり、幸運だったと思います。少し怖いですが、今回は良い機会なので弑逆者になったことを正直に話し、どう思うかを聞いてみたいと考えています。