「一つ条件がある。そなたは諸国流浪の身ならば、見聞のために、諸国の有力大名家を訪問してみるが良かろう。その際この鉄砲を持参して、その効力を知らしめてくれぬか。鉄砲が信長一人に偏(かたよ)ってしまうと釣り合いが取れぬ。やがてあやつが天下を牛耳ってしまうことに成りかねない」

「承知致しました。なれどそれが何か、あなた様のお役に立つのでしょうか」

「儂だけではない。鉄砲の生産が間に合わなければいくらでも南蛮船から手に入る。また硝薬もそれだけ必要となる。儂らはそれを堺の納屋衆を通じて、全国の諸大名に売りつければ、堺の納屋衆も雑賀衆も皆潤うというものじゃ」

光秀はそれから一月余り雑賀荘に留まり、高野山や吉野山などを巡り、自身の肉体と精神の鍛練に努めた。やがて弘治二年(一五五六年)の年も暮れようとしていた。光秀は長い滞在の礼を述べ、雑賀荘の鈴木孫一の居城を辞した。

孫一は別れ際に和紙に包んだ十枚の金貨を光秀に手渡し、

「これは餞別じゃ、鉄砲の普及の宣伝費だと思って使ってくれ」

金貨十枚と言えば、現在の価値で一千万円ほどに該当した。光秀は驚いたが有り難く頂戴した。

とにかく、堺に寄って千宗易に礼を言って、京にてしばらく過ごし、春の雪解けの頃から越前朝倉氏から越後上杉氏などを尋ねてみようと思っていた。

京に戻った光秀は早速羅生門の近辺を尋ね、原田佐内と荒法師覚栄の居所を探した。巷(ちまた)に屯(たむろ)する浮浪者たちに、二人の消息を尋ねたがこの頃は見かけないという返事ばかりだった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明智光秀の逆襲』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。