当時の学習塾というものは、学校の教員を定年退職したお婆さんが、自宅に子供達を集めて、寺子屋式に勉強を教えている、そんな感じのものであった。僕は塾に通うようになって、学校の成績がメキメキ上がっていき、小学校5年の時には、学年でもトップクラスになった。

それもその筈(はず)だ。普通の子供達は学校の勉強だけだが、塾に行けば、完璧に漏れなく勉強を隅々まで教えてくれる。テストの成績は上がるというものだ。

当時、僕には勉強のライバルで有力な子が2人いた。2人とも女の子なのだが、1人は東京大学の教授の娘と、もう1人は両親が医者をやっている子。

東京大学の教授の娘は、背も比較的高く色白で、顔も整っていてほぼ僕の初恋の人だった。また、そのお母さんも奇麗な人で、遠足などで父兄が一緒に付いて来る時などに、僕がバス酔いで苦しんでいるとよく介抱してくれて、そのお母さんにも僕は好意を抱いた。

東大教授の娘は勉強が物凄く出来たが、塾に行っているのではない。お母さんが家に帰るとスパルタ式に勉強を教えているらしかった。

そして、その娘は遺伝であろうと思われるのだが、大変奇麗な娘にしてはもったいなくも、小さい頃より度の強い、似合わない近視の眼鏡を掛けていた。

勉強も良く出来て、性格もとても優しくもあり大好きであったが、勉強のライバルでもあったから、そんな事はおくびにも出さなかったのである。

その子はやっぱり、その後、埼玉県で一番の女子高に進んで行ったのだが、その後は知らない。