おかんはいかにしてサッカーコーチになったのか?

Kコーチとの出会い

私(以下、おかん)がいま、地域の小学生を対象としたサッカーチームのコーチをしているのは、いくつかの偶然が重なった結果ですが、その最初のきっかけとなったKコーチとの出会いは印象深いものでした。

おかんには一女一男、二人の子どもがいます。上の娘は現在高校1年生、下の息子が中学1年。息子は運動神経が良いほうですが、上の娘は走ることと投げることが全然ダメです。

話は、そんな上の娘が小学校1年生の頃に遡ります。

おかんの子育ての方針の一つとして、「たくましく育てる」というのがあります。娘が小学校1年のとき、運動会の徒競走でビリになりました。

おかんが運動会で娘の走りをひと目見て思ったのは、「この子は走り方を知らない」でした。

当時の娘は滲出性(しんしゅつせい)中耳炎持ちで、週に2回病院に通っていて、そういう生活に追われて「思いっきり走る」という経験をさせてこなかったのです。

母親としての自分を悔いました。そして、当時専業主婦だったおかんが行ったのは、夏休みに入ってすぐの特訓です。地域のラジオ体操に参加して、その後ジョギングしながら少し離れた公園へ行って雲梯(うんてい)を特訓します。その後にもジョギングでもとの公園に戻ってボールで的当て。娘が苦手としている種目を朝練で何とかしようとしました。

何て “星一徹” な母親なんでしょう! 

そういう朝練で出会ったのが、おかんが審判をやるきっかけとなり、いまも同じサッカーチームでお世話になっているKコーチでした。

朝練では、おかんが滑り台に養生テープでバツマークを付けて、娘と一緒にボールで的当てをしていました。朝早く滑り台にボールをバンバン当てようとしている母娘、近くの少し広い広場に出ました。

そこには、我が家と同じように、幼い子どもを二人連れてサッカーの朝練をしているどこかのパパの姿がありました。

(あぁ、熱血な親は私だけじゃないのね。ここにも似たような家庭が)

と思って通り過ぎようとしたら、幼い子どものお兄ちゃんのほうは、特徴的な見たことがある風貌です。おかんは即座に娘に聞きました。

「いま、そこでサッカー練習してる男の子って、運動会のダンスでリエとペアになったユウジ君じゃないの?」

「そうだよ」

と娘が言うので、おかんはすかさずパパさんに挨拶しました。

「おはようございます。うちの娘が同じクラスでお世話になっております山﨑と申します。娘が運動会のダンスで一緒になったみたいで、同じクラスで仲良くしていただいて本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします」

当時、何の接点もなかったKコーチは突然のことで驚いたようで一緒ぽかんとして、その後、

「あ、こちらこそよろしくお願いします」

とだけ言いました。

これがKコーチとの出会いでした。Kコーチとの接点はこれだけでしたが、おかんの頭のなかには、子どもと朝練ができるパパさんという情報がインプットされました。

おかんたちは、娘が5歳のときに夫の仕事の都合でいまの地域に引っ越してきて知り合いもいない新参者だったので、きちんと地域に馴染むことが自分に課したミッションの一つでした。

新しい世界に飛び込んだとき、早く押さえるべきことはキーパーソンを掴むことです。

土地勘のない地域、娘が小一で入った小学校、何人かのキーパーソンがおかんの頭のメモに加わっていったところに、Kコーチも一時保存されたのでした。

でも、Kコーチとして会うのは、この出来事から3年先のことで、この頃は(ユウジ君パパは何か力を持っていそうだから、とにかく敵にまわしてはいけない人)としか思っていませんでした。実際のKコーチは愉快で子ども思いで敵になるような人ではありませんでしたが……。

そして、それ以上に、そのときユウジ君と一緒に朝練に来ていた小さい女の子(Kさんの娘でユウジ君の妹のさくらちゃん)が、おかんにとって最大のキーチャイルドになるとは、そのときはまったく予想だにしなかったのです。

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『グリーンカード “おかんコーチ”のサッカーと審判日記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。