週末 ほとんど試合の日々

おかん監督はこうして誕生した

おかんがコーチになったのは、息子が小学5年生のときでした。この頃、エスフォルソFCは、大きな転換点を迎えていました。

エスフォルソFCというチームは、選手が高学年になると、中学受験を理由にチームを退会する子が続出して、メンバーが半減する流れがあるのです。ホームになっている滝野川小学校が、公立校とはいえ、進学熱心な家庭が集まる文教地区にあることが関係しているようです。

中学受験を理由とした選手の退会は、コーチにとって頭をガツンと殴られるような相当ショックな出来事です。昨日まで一緒に楽しくサッカーをやってきた教え子が、サッカーを嫌いになったわけでもなく、来なくなるのですから。

また、その後のゲームの采配や、選手の育成方針も大きく変わってきます。

ところが、その年の5年生は、11名の選手が残留しました。中学受験を予定している選手も多数いましたが、少なくとも5年生の間はサッカーに集中するようでした。

6年生は5名いますから、高学年の人数は全部で16名です。これだけの人数が高学年に残っているのは、エスフォルソFCでは、近年まれにみる快挙でした。

高学年メインコーチのTコーチは、人数不足の悩みから解放されて、次のステップとして「勝ちにいく」ことを真剣に考えるようになりました。練習の内容がハードになり、練習試合では、選手の特徴をみながら、さまざまなポジションを試行錯誤して戦略を練っていました。

Tコーチは、時として、

「次のゲームは、山﨑さんが采配してください」

といって、審判に入っていくこともありました。違う人のゲームの采配をみたかったようです。

9月に北区のリーグ戦が終わったとき、エスフォルソFCは、悲願の一部昇格は果たせず、15チーム中10位でした。拮抗した挙句に引き分けた試合が何度もあり、コーチ陣は悔しくて臍(ほぞ)を噛むのでした。

Tコーチは、7月頃には、次の展望を考えているようでした。

コーチ間で夏休みの予定を組む際、次の公式戦「秋のフットサル大会」の話になりました。

Tコーチが切り出しました。

「次のフットサル大会では、チームを2チーム出そうと思っています。一つは僕がみて、もう一つは山﨑コーチがみて、チーム同士を競争させましょう。Uコーチは、卒業フットサルで6年生をお願いします。選手をどう分けるかは、ちょっと考えてみてください」

Tコーチは軽く言っていますが、要するに「フットサル大会のBチームで監督の役割をやってみてください」と言われていることに後から気づきました。

おかんはその展開を、予想していませんでした。

というのは、「エスフォルソFC高学年チームの監督はTコーチだ」という考えがおかんの中では当たり前すぎて、まさか、ほかのコーチが監督の役割を任される、しかもおかんが監督する、とは思っていなかったからです。

でも、TコーチにBチームを任されたことについては、すぐに腹をくくりました。なぜなら、おかんはすでに、Bチームを任される下地を作っていたからです。

北区のリーグ戦において、格上の相手と対戦しているとき、おかんは、控え選手たちのメンタルコーチを、進んで、むしろ勝手に引き受けました。

Tコーチは、ピッチに出ている選手への指示に集中していますが、その間、ベンチで試合に出られない選手たちはつまらなそうにしていました。おかんは、控えの選手にいろんな声かけをしました。

「いつ呼ばれても出られるように、自分のポジションを意識してみていよう」

「相手チームのマークすべき選手の動きを観察しよう」

ベンチの子へ最大限の配慮をする原動力は、(控えの選手にサッカーを辞められたくない)という気持ちです。

コーチが気を抜いて、選手がサッカーを退屈に思うようになったら、そのうち彼らはサッカーに見切りをつけて中学受験に乗り換えてしまうという懸念がありました。

TコーチはTコーチで、対戦相手チームのレベルと選手の起用には大変気をつかっていましたが、人数が多いため、すべての試合で必ず全選手を出すことは難しいことでした。

だからこそ、秋のフットサル大会は2チーム編成にして、すべての選手に全ゲームをプレーさせたかったのでしょう。チーム同士を競争させる、という言葉にも、選手たちのレベルアップへの強い意志が感じられました。

このときの、おかんの気持ちは「その案、のった!」という前向きな、むしろ面白がるものでした。北区内では、女性コーチは珍しい存在です。

ベンチで選手たちに主体的に指示を出す女性コーチは、当時はいませんでした。おかんは北区ではすでに「ときどき審判をやっている、もの好きな素人のおばちゃんコーチ」という立ち位置でした。

試合の勝敗へのプレッシャーはありません。どのようなチームになるのか想像もつきませんでしたが、一つ言えたのは、「ゲームを楽しもう!」ということでした。

このような経緯で、息子が小学5年生のときに、「Bad Boys」の初監督を果たしたのでした。

そして、時は流れ、息子が6年生になった夏休みに、Kコーチから、高学年コーチ宛にメールが届きました。

内容は「夏休みの平日夜に、高学年を対象としたフットサルの招待試合があり、誘われています。出場しませんか?」というものでした。

こういうことを決定するのはTコーチの役割なので、おかんは読み流していました。

後日、Tコーチから改めて高学年コーチ宛に「平日で仕事があるため、対応できません。ほかのコーチでどなたか対応できませんか?」というメールが届きました。

試合は平日でしたが、たまたま、おかんは有休をとっていたので、軽い気持ちで「保護者の引率当番が一人ついてくれるなら対応しますよ。」と返事を出し、あれよあれよという間に、招待試合に参加することが決まりました。

コーチで行けるのはおかん一人だけ。つまり、この日はおかんが監督をする日です。

そして、一晩限りの再結成、「Bad Boys Neo」を発足することになったのです。頑張るぞ!

しかし、このおかん二回目の監督が、ゲームの采配だけでなく、人数集めの苦労につながるとは、その時は予想だにしていなかったのです。

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『グリーンカード “おかんコーチ”のサッカーと審判日記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。