日本の自然と風景

私たちは、自然の風景を見たり、肌で感じたりして美しさや心地良さを感じます。

優れた風景写真に心を動かされたりもします。そして多くの人が同じように感じていることを知っています。

この自然の景観に心を動かされる感受性はどのようにしてもたらされたのでしょうか。

関東圏に土地勘が無いとピンとこないかもしれませんが、「武蔵野」がどのあたりを指すか具体的に領域をイメージできる人は意外と少ないのではないでしょうか。武蔵野市という自治体がありますが、武蔵野のほんの一部という感じです。

JR武蔵野線が山手線の外環状線であることから、山手線のだいぶ外側をイメージすれば良いように思います。なんとなく曖昧な武蔵野という地名ですが、いまだに使われている理由の1つに国木田独歩の随筆「武蔵野」の影響が挙げられると思います。

「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。

独歩は武蔵野の冒頭でこう述べています。ここでいう「武蔵野のおもかげ」とは古くは万葉時代から古今和歌集、新古今和歌集など平安時代に盛んに詠われた、背の高いススキやカヤなどの草原が果てしなく続く原野のイメージを指しています。

しかし今日の私たちの武蔵野のイメージはナラやケヤキの雑木林と田畑が続く風景ではないでしょうか。

明治31年に出版された「武蔵野」は、江戸時代まで千年近く日本人の間で共有されてきた武蔵野のイメージを一夜にして上書きして書き換えました。

書き換えられたのは、武蔵野のイメージだけではありません。文政年間の地図の書き込みには、武蔵野の俤が(遠く外れた)入間郡にわずかに残った様を嘆く気分が感じられます。

そこには、今日の私たちの憧憬ともなっているナラやケヤキの雑木林と田畑が続く風景への肯定はありません。文学や屏風絵などの題材にはならないということだと思います。

しかし、独歩は「今の武蔵野」に美しさ、あるいは、「美といわんよりむしろ詩趣」を見出しました。

つまり、独歩は自然の風景に対する伝統的な美意識も書き換えたのです。そしてその美意識について、

「それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う」

と記されているところからも、独歩だけの独りよがりでは無いという感触を持っていたことが窺えます。

独歩の題材となった「今の武蔵野」は明治29年の秋の初めから翌春の初めまで住まった渋谷村での体験を中心に執筆されています。