「子どもの人権擁護委員会」を紹介したりなどもした。弁護士が電話での相談に乗ってくれるからだ。校長はかなり対応に苦慮していたようだったが、ある時、本土へと向かう校長と、当の小学校の先生に会う機会があった。

同じヘリコプターに乗り合わせていた、体の大きい若い男の先生だった。あとで分かることだが、校長がそれなりに対応し、東京都教育委員会の指導を受けに行った折のことだった。

何度か矯正教育的な指導を受けに行ったとのことで、おそらくそれが効いたのだろう、沈静化に向かったようではあった。

何という偶然か、時を同じくして、PTA会長さんの怒りの矛先が向いたままのR中学校の校長と私が、S中学校に赴任することになったのだ。

体罰教師を管理できず、しっかりとした対応もできない校長が、今度のS中学校での上司に。思いっきり身構えたのと同時に、端っから敵対心を抱いてしまっていた。

前途多難を余儀なくされる、S中学校への船出となったのだが、2年目を終える頃、R中学校のPTA会長さんが島を離れることになったと電話連絡をくれた。

そして、話の流れの中で、何気なく「悪かったのは教育長で、校長はよくやってくれた」と告げられた。それを聞いた時には、「今更取り返しのつかないことを」という思いが込み上げたが、もう後の祭り。

無論、悪気があったわけではないことはわかっているが、なぜ、そんなことに巻き込まれてしまったのか、と恨み節しきりだった。

人の世界では、「わけの分からない力」に絡め取られることがしばしば起こるということだ。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『教育現場の光と闇~学校も所詮〔白い巨塔〕~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。