ウィラットがこちらを向き

「今から某教授のところに談判に行くがお前も来るか」

と聞く。黙ってついていくと、メガネをかけたやや陰険そうな教授が部屋の中にいた。

教授は、学生の数が規定数に満たないので、ゼミは中止せざるを得ないと学生に説明した。ウィラットが中心になって、是非勉強したいのでゼミを開いてくれと執拗に食い下がったのが印象的であった。

君は、人一倍熱心に教授に迫ったと思う。教授も最終的には折れて、最低必要な学生の数を減らしてくれた。しかし、有志の呼び掛けにも拘らず規定数の学生は集まらなかった。

あの時、何故君があれほどあの講義にこだわったのか、今となってみると良くわかる様な気がする。

君は父親の祖国であるベトナムとタイの外交関係を本当に勉強したかったのだろう。単位の取りにくい授業を忌避する学生の志の低さを、二人で嘆きながらだべっているうち、何の因果か、二人で読書会をやろうということとなった。

ウィラット、君は僕のへたなタイ語も黙って聞いてくれ、種々議論の相手になってくれた。

タイ語はへたでも、インドシナ外交関係の日本語の文献をある程度は読み込んでいた僕の知識には一応の敬意を払ってくれた様な気がするが、今考えると、僕の無知振りを君はその優しさで包んでくれたのではないかと思う。

ベトナムのカンボジア侵攻を非難した僕に、君は、中国の本当の怖さを知らないからそんな単純な非難ができるのだと、珍しく語気鋭く反論したこともあった。

ある日、君は、皺だらけの五十米ドル札を見せてくれた。米国にいる兄が、小包で贈ってくれた「ラルフ・ローレンのシャツ」の中にそのお札を忍ばせておいてくれたと説明してくれた。

多分その時かも知れない、君が「いつか米国に行くかもしれない」と謎の言葉を残したのは。