ウィラットを尋ねて

カンボジア問題の解決の出口が見えなかった一九八五年、僕は、タイからニューヨークに転勤、その後、一九八七年に日本に無事帰国することとなった。

一九九一年、僕はチャートチャーイ・タイ首相(当時)の公式訪日受け入れの手伝いをしていた。

「インドシナを戦場から市場へ」とのスローガンを引っ提げて訪日したチャートチャーイ首相は、カンボジア問題解決の為の東京会談の開催を海部俊樹首相(当時)に切り出したのだった。

その会談は、その後のカンボジア問題解決の突破口となった。ソビエト連邦の崩壊に伴う所謂「冷戦構造」の崩壊、カンボジアへ国際連合平和維持軍が派遣され、総選挙も行われた。

タイ・ラオス国境を流れるメコン河には一九九四年にタイ・ラオス友好橋が架かった。一九九五年には、遂にベトナムが東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国となった。

ウィラット、君は何処でこうしたインドシナの一連の動きをウォッチしたのだろう。仮に、ベトナムのASEAN加盟がもう少し早まっていれば、君はタイに残る決心をしたのだろうか。君にタイに残って欲しかったというのは多分僕個人の感傷なのだろう。

ウィラット、君は今何処で何をし、何を考えているのだろう。

東北タイの田舎街でもたくましく生き延びた君のこと、何処にいようと上手く適応していることは間違いないと思うが。いつか君を捜し出して、色々質問してみたいと思う。

それが、僕個人にとっての所謂「インドシナ問題」の解決に繫がることになると思うから。

ウィラット、君は知っているだろうか?

その昔東北タイに宣教活動に入り、ナコンパノムに住んでいたホー・チ・ミンが、一九三〇年頃に自ら植えた「スター・フルーツ」の木が大きく育っていることを。

また、その木の植えられている家のすぐ横には、ベトナム人の建てたお寺があり、テト(中国正月)の際には、ベトナム人関係者の参拝で線香の煙が絶えないことを。

ホー・チ・ミンの植えた木のある家のおじいさんは、七歳の時、ホー・チ・ミンと直接話をしたこと等を懐かしげに語ってくれた。

ナコンパノムの南部のムクダハンとメコン河の対岸のラオスのサワンナケートの間にはタイ・ラオスを跨ぐ第二の橋が架けられようとしている。

ノンカーイ、ナコンパノム、ムクダハーンにある「インドシナ市場」は、インドシナ各地の物品や中国の陶磁器、チェコ産のボヘミアン・ガラスで溢れている。

ウィラット、君は、今日のタイ・ラオス国境地帯の賑わいを予測することが出来ただろうか。

ウィラット、出来ることならば、いつの日か君と一緒に「ホー・チ・ミンの木」を共に見つめてみたい。そして、君や君の家族が歩んできた数奇な人生について尋ねてみたいと思っている。

ホーチミンの歌姫

「光陰矢の如し。されど手に弓はのこるべし。たとえ時は過ぎても、言葉はとどまる」長田弘

〈第一楽章〉

バンコク市内の某ホテルにて「オペレッタの夕べ」が催されたある日のことである。偶々隣り合わせとなったノルウェー人の恰幅のいい紳士より唐突に

「貴殿は毎日いかなる音楽を聞きたもうや?」

と聞かれ、返答に窮してしまった。何と答えていいのやら。黙考しても何ら答えが出てこない。挙げ句の果てに

「そうですね、私は日本人ですから、日本の音楽が良いですね。エート、その、演歌はご存じですか。都はるみとか美空ひばりとか。多分ご存じないでしょうが、そんな歌手がコブシを利かせてうなる歌がいいですね。でも、毎日そんな音楽を聞いているわけではありませんが」

そんなまどろっこしいことを英語で伝えた。相手に無事伝わったのだろうか。よしんば伝わったとしても全く答えになっていないことを、相手はどう感じたのだろうか。