ヤワラート「迷宮の魔都」

冒険映画「インディ・ジョーンズ」の第二作目「魔宮の伝説」は、出だしがとても洒落ていて、ハリウッドのレヴューを彷彿させるきらびやかなショーの場面から始まる。

華やかなナイト・クラブにおける大乱痴気騒ぎから主人公が抜け出し、わずか数分であるが、上海の夜の繁華街の様子が映し出される。映画のチャイナタウンのセットがいかなる時代考証に基づいて作られたのか知らない。

しかし、そのチャイナタウンの様子こそ、私がかってにイメージしてやまない、あらまほしき「チャイナタウン」の雛形の一つである。

長谷川一夫と山口淑子の主演になる映画「支那の夜」の中では、実際の上海の夜の街の様子が映し出されるが、その上海の様子も哀感があり、私のイメージの中のチャイナタウンと一致する。

私が特別に思い入れを持つ「チャイナタウン」のイメージとは、中国国内にある街ではなく、東南アジア等中国本土以外にしたたかに息衝く中華街である。

例えば一九八四年に訪れたべトナムは、ホーチミン・シティー(旧サイゴン)のチョロン(中華街)。

当時のチョロンは、当局による華僑に対する弾圧のせいか、人通りも少なく閑静な感じの街であった。チョロンが輝いていた頃を知る人達は、

「これはチョロンではない、昔の本当のチョロンは既に消えてしまった」

と言っていた。そのチョロンは、多分、当時東南アジアにあったいかなる中華街と比較しても静かでかつ寂しい街であったのだろう。

しかし、チョロンのあちこちには中国風のお寺や建物が多く、バンコクからのお上りさんにとっては、異国情緒に溢れた街であった。

思わず引き込まれそうないわくありげの路地裏もたくさんあった。多分あの曲がり角を曲がればその先は阿片窟や売春宿があることを思わせるに足りる路地が多かった。

ベトナム戦争当時、有数のベトナム・ウォッチャーであった近藤紘一さんの下宿はどの辺りにあったのだろうか。そんなことを考えながら「シクロ」で流したあの時代のホーチミンの寂しげな街の様子は今でも切なくもやるせない印象として私の胸に残っている。

九六年年末、久し振りにホーチミンを訪れる機会があった。チョロンにも行ってみたが、雲霞(うんか)のごとく人が湧き出ており、ビンタン市場には品物が溢れ、チョロン復活が肌で感じ取られた。世の中は、十年単位で変わってしまうと実感した。